2021年4月13日放送 - か:関東と信越つなぐ高崎市


 

 

この札には交通の中心地として様々な地域を結んでいる高崎に、群馬発展の一翼を担ってほしいという制作者の願いが込められています。

御存知の通り高崎は古くから越後国に続く三国街道や、江戸と京都を結ぶ中仙道が通り、商業が盛んな町として栄えてきました。

また現在も鉄道や道路の要所として、特に高崎駅は新幹線を含む9路線が乗り入れる北関東有数のターミナル駅として機能しているのは言うまでもないですよね。

 

さて、今では当たり前になっているこの『高崎』という地名。この名前はいつ誰がどんな意味を込めて名付けたのか、皆さんはご存知でしょうか?

 

これに関しては諸説あるのですが、名前を付けたのは1598年に高崎城を築城した井伊直政だと言われています。

徳川家康の命令によってこの地に城を築いた直政ですが、当初は烏川に立っている松の木を見て『松ヶ崎』(まつがさき)のいう名にしようと考えていました。

 

しかし、それを信頼している僧侶に相談したところ、

「生き物には盛衰があり、松もいつかは枯れてしまいます。そうならぬよう、今後新天地での政(まつりごと)が無事成功するよう『成功高大』の『高』の文字をとって『高崎』と名付けるのはいかがでしょうか?」と進言されたのです。
直政はこれに深く感銘を受け、その『高崎』の名を採用したと言われています。

 

高崎芸術劇場やアリーナ、また昨年はGメッセ群馬など、ここ数年で大きく発展している高崎市。

直政が抱いた思いを是非今後も継承していきたいですね。