2022年8月23日放送 - と:利根は坂東一の川


 

流域面積日本一、そして国内2番目の長さを誇る利根川。

首都圏の水源としても重要な役割を果たしており、農業・工業用水としてはもちろん、約2750万人の飲料水としても利用されています。

 

また、まだクルマなどの陸上交通が発達していなかった時代には物資の運搬にも利用されており、江戸時代には年貢を江戸に運ぶメインルートとしても使われていました。

 

 この利根川の水源は群馬と新潟の県境にある大水上山。標高1,831mの山頂近くに端を発し、いくつもの支流の水を集めながら下流へとくだり、やがて大河となっていくのです。

 

 

とはいえ以前この札を紹介した時にもお話しした通り、この利根川は『日本三大暴れ川』の1つとしても知られており、昔から大雨が降るたびに水害を発生させ、周辺に住む人々を苦しめてきました。

利根川沿いの暮らしは、まさに洪水との戦いでもあった訳です。

 

 

そして実は、江戸時代に起こったある歴史的な事件がきっかけとなり、その洪水の頻度は更に多くなってしまうのですが、その事件とは何なのかを皆さんはご存知でしょうか?

 

 

正解は、このコーナーでもたびたび紹介している1783年の『浅間山の大噴火』。

ある資料によると、この浅間山の大噴火以前の160年間に起こった水害の発生件数は26回なのに対し、大噴火以後の160年間に起こった件数は70回と3倍近い頻度となっています。

 

 

 

その原因は噴火によって堆積した超大量の火山岩。

当時噴火によって大量の火砕流が利根川の支流である吾妻川に流れ込んだのですが、火山によって噴出した石は隙間が多くて軽く、水に流されやすい性質を持っています。

 

その為、噴火後に起こった雨によって徐々に流されていき、下流の利根川の川床が全面的に上昇し、氾濫し易くなってしまった訳です。

これが日本有数の暴れ川である利根川を更に暴れさせてしまった要因です。

 

 

その為、堤防や水門の建設などの河川整備が昔から行われてきたのですが、20世紀以降も利根川はたびたび近隣住民を困らせます。その代表格が戦後最大の台風被害をもたらした1947年の台風9号。通称:カスリーン台風。

 

 

この台風は利根川流域内にある家屋の5000戸以上を押し流し、前橋では更に敷島公園の近くに架かっている大渡橋が崩壊。県内で592名の死者を出しています。

 

今回はちょっと怖い話になってしまいましたが、現在は防災技術も発達したことで昔のように大規模な洪水が起こる事は滅多にないのかもしれません。とはいえ可能性はゼロではない訳です。

台風のシーズンはまだまだ続きます。是非災害時の準備を万端にしてこの夏を乗り越えて下さい。 

2022年8月23日

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

 

 

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊