2021年9月28日放送 - ひ:白衣観音慈悲の御手


室町時代の1426年に開かれた館林の茂林寺。

この『ふ』の札は、その茂林寺に伝わる分福茶釜伝説を詠んだ札です。

 

昔、この寺の住職であった守鶴(しゅかく)というお坊さんが持ってきた茶釜で湯を沸かしたところ、どんなに汲んでも湯が無くなりませんでした。

その為、たくさんの人に温かいお茶を振舞って『幸福』を分ける事ができるということから、その茶釜を”福を分ける”と書いて『分福茶釜』と名付けられたのです。

 

 

その後、明治時代に巌谷小波(いわやさざなみ)という作家がこの話を童話にし、茶釜は狸が化けているというストーリーにしました。

そのお話の中では茶釜に化けている狸が綱渡り芸をする場面があるのですが、この『ふ』の絵札にはその様子が描かれています。

 

 

さて少し話は変わるのですが、皆さん、館林駅を降りると目の前の駐車場辺りに『巨人軍栄光の初V 不屈の魂誕生の地』という碑が立っているのを御存知でしょうか?

実は昭和初期、この館林の茂林寺の近くには『分福球場』(またの名を『茂林寺球場』)という野球場があったのですが、この野球場が日本のプロ野球創立に大きく関係しているのです。

 

 

1936年、今の日本プロ野球機構の前身である日本職業野球連盟が設立され、7つのチームでプロ野球の公式戦が初めて開催されました。

その1つとして参加したのが現在の東京読売ジャイアンツである『東京巨人軍』。

 

 

巨人軍は前年に行ったアメリカ遠征で優秀な成績を収めており、日本プロ野球初年度の優勝が期待されていました。しかしながらアメリカで成果を挙げた事で油断をしたのか、春と夏のリーグ戦ではまさかの惨敗。

結果を重く見た当時の巨人軍の藤本監督はこの年の9月に分福球場でキャンプを行い、選手たちが食べたものを全て戻してしまうくらいの厳しい千本ノックを行います。これが通称『茂林寺の猛特訓』として当時の野球ファンに知れ渡ったのです。

 

 

この猛特訓には、沢村栄治やスタルヒンといった、今では伝説となっている名選手も参加していました。その結果、その年の秋季リーグでは見事優勝。これがプロ野球での巨人軍初優勝となり、読売ジャイアンツの歴史の記念すべき第一歩となったのです。

 

 

現在この『分福球場』は取り壊されており、関東学園大学のグラウンドとなっています。

その代わりと言っては何ですが、茂林寺に行くと21体のたぬきの像が置かれていて、季節ごとに衣替えをしています。3月はおひなさまの格好、夏は浴衣、たまにフラダンスの格好という感じです。是非一度茂林寺に行ってみて下さい。

 

以上、現在セリーグのビリ争いを演じている横浜DeNAベイスターズの熱狂的ファンの渡邉がお送りしました!(泣)