この札は群馬と長野の県境にある『碓氷峠』を詠んだ札です。
中仙道の重要な関所として盗賊の出入りや荷物の往来を監視するなど、箱根峠と共に江戸幕府を守る交通の難所として、当時碓氷峠は「天下の門」と呼ばれていました。
この碓氷峠の往来に人々は苦しんだわけですが、その苦しみは関所が廃止された明治以降も続いたのを御存知でしょうか。
それは明治26年に開通した横川~軽井沢間の鉄道計画です。当時、太平洋側と日本海側を結ぶ交通網を整備する為、この碓氷峠に機関車を走らせる計画が持ち上がる訳ですが、実は鉄道というのは斜面を登る事が大の苦手であり、当時の技術者たちはどうやって鉄道で急勾配の碓氷峠を越えればいいのかとても悩みました。
そこで取り入れられたのが、当時ヨーロッパの山岳鉄道で使われていた『アプト式』という方法です。機関車のついている歯車と線路側についているラックレールをかみ合わせ、見事横川―軽井沢間を約80分で結んだのです。
現在は廃線となってしまいましたが、その峠越えが如何に大変だったのか、また明治時代に鉄道の技術者たちがどうやって峠の傾斜と戦ったのかは安中市の『碓氷峠鉄道文化むら』の展示物で知ることが出来ます。
群馬が世界に誇る鉄道遺産です。またそろそろ桜のシーズンですので、この機会に碓氷峠に足を運んでみてはいかがでしょうか。