昔から群馬県民は『義理人情にあつい』と言われてきました。
ただ、『義理人情』とは何なのか?を説明するはちょっと難しい気がするのですが、辞書を引くと『人間が生きていく上で良心に恥じないよう行動する気持ち』と書かれています。
この札はその義理人情と、群馬の特徴的な気象現象である雷と空っ風を詠んだ札です。
さて、以前この『上毛かるたはカタル』の中でもお話しましたが、この『ら』の札は上毛かるたを語る上で非常に重要な意味を持っています。
かるた制作時の血と汗と涙全てが詰まっている札と言っても過言ではないのです。
そもそもこの『ら』の詠み札、実は制作当初の原案はちょっと違った文言でした。
上毛かるたの生みの親である浦野匡彦(うらのまさひこ)先生の娘:西片恭子さんの著書『上毛かるたのこころ』によると、制作当初の原案は『雷と空っ風上州名物』だったそうです。
それが何故、発行時には『雷と空っ風義理人情』という言葉へ置き変わったのか、皆さんはご存知でしょうか?
上毛かるたが制作された1947年当時、上毛新聞の紙面でかるたに採用する題材を県民から公募したのですが、詠み込む人物として一番多くの人気を集めたのは新島襄でした。
そしてその次に塩原太助、関孝和、新田義貞という順に続き、5番目に多かったのが江戸時代後期の尊王思想家であった『高山彦九郎』、そして6番目が『国定忠治』だったのです。
その為、当初はこの人気順通りに札へ採用しようとしたのですが、当時の日本は敗戦直後のGHQの支配下。
高山彦九郎はGHQには日本の帝国主義の象徴のように見えたこと、また国定忠治は反社会的な存在であったことから、かるたに採用すると日本再建に悪影響を及ぼすと判断され認められなかったのです。
これに対して浦野先生は、『GHQは日本に民主主義を指導していく立場でありながら、多くの県民が望んでいるこの2人のかるたへの掲載を認めないのはいかがなものか?』と強く反発。
しかし、あまり反発し過ぎるとかるたの発行そのものが禁止されてしまう為、最終的には仕方なくこの2人を詠み込む事を諦めます。
しかし、その代わりにこの2人を上州人の気質である”義理人情”という言葉で表すことにしたのです。
またさらに『ら』の詠み札を赤く染め、絵札には風神・雷神の不気味な絵柄を採用しGHQへの反抗心を強く表現しました。そんな血と汗と涙がこの『ら』の札には詰まっています。
今年2022年は上毛かるたが制作されて75周年という区切りの年でもあります。
私も今年は色々な場で、75年前の上毛かるた制作者達の血と汗と涙の物語をお話できればと考えています。
2022年1月11日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊