富岡市にある『一之宮(いちのみや)貫前神社』。
今から約1500年前に創建された古い歴史を持つ神社であり、また現在の社殿は1635年に徳川家光が建て、その約60年後の1698年に徳川綱吉が大掛かりな修理をしたものと言われています。
さてこの貫前神社、正式名称は先ほども申し上げた通り『一之宮貫前神社』と言います。
この『一之宮』とは、平安時代に全国の神社の一覧をまとめた『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)』という書物に記載されている神社の『社格』を指します。
いわゆる神社の格式を示したものであり、古代の日本は上野や下野など68の『国』に分かれていましたが、その各国の中で最も格式の高い神社のことを『一之宮』と呼んでいました。
そして当時は中央の役人が地方の国に赴任すると、その国の神社をお参りして回る風習があったのですが、その際は格式の高い神社から、いわゆる一之宮から順番に回っていた訳です。
当然1つの国に一之宮は1つしかありません。また各国の一之宮の名前を見ると、例えば隣の信濃国の一之宮は『諏訪大社』、出雲国は『出雲大社』、安芸国は『厳島神社』とそうそうたる神社が名を連ねています。
貫前神社はこれらの神社と肩を並べる、上野国で一番格式の高い神社なのです。
ちなみに一之宮があるということは、当然のことながら二之宮、三之宮も存在します。上野国の二之宮は赤城神社、三之宮は伊香保神社になります。
しかしここで奇妙な事が1つ。
実は他の国を見てみるとほとんどが三之宮までしか記載されておらず、四之宮、五之宮まである国はごく稀なのですが、なぜか我々上野国は断トツで多く、なんと『九之宮』まで存在します。
具体的には・・・
・四之宮:甲波宿禰(かわすくね)神社 (渋川市)
・五之宮:若伊香保神社 (渋川市)
・六乃宮:榛名神社 (高崎市)
・七乃宮:小祝(おぼり)神社 (高崎市)
・八乃宮:火雷(ほのいかずち)神社 (高崎市)
・九之宮:倭文(しどり)神社 (伊勢崎市)
なぜ上野国だけ、それ程たくさんの神社に社格が設定されているのか?
実はこれについては色々と研究されている様なのですが結局のところ謎であり、そもそも他の国の社格も含め、いつ誰がどのように決めたのかすらも正確に分かっていないのです。
とはいえインターネットを見てみると、この九つの神社を回って参拝している方も多く、更には全国の一之宮を巡る旅をして御朱印を集めている方もいらっしゃるようです。
2022年も残すところあと4日。来年の初詣は貫前神社へ出かけ、そのまま全国の一之宮巡りをするというのはいかがでしょうか?
2022年12月27日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊