前回までに上毛かるたの各札について語ってきました。
44枚の札には群馬県を代表する偉人や名所旧跡が描かれていますが、そういえば、『なぜあの歴史的な有名人は採用されなかったのか?』とか、『なぜあの観光地は載ってないの?』という疑問を持ったことはないでしょうか。
以前このコーナーでお話した通り、上毛かるたは1947年に県民から札へ採用する題材を募集する所から制作が始まりました。
その際、実に272点もの応募があったのですが、当時日本はGHQの管理下。
国定忠治や高山彦九郎、小栗上野介などは日本の軍国主義を思い起こす人物だとされて札への採用を認められなかったという経緯があります。
しかしそれ以外にも、制作当初はかるたに採用予定だったものの、最終的には泣く泣く不採用とした『群馬を代表する”ある場所”』があります。それはどこか、皆さんはご存知でしょうか?
正解は『渡良瀬川』です。
上毛かるたの生みの親である浦野匡彦(うらのまさひこ)先生の娘:西片恭子さんが書いた『上毛かるたのこころ』という本に、当時作成された上毛かるたの第一次決定稿、いわゆる最初の詠み札の案が掲載されているのですが、それを見ると『り』の札には、
"両毛境の渡良瀬川"
(りょうもうざかいのわたらせがわ)
という詠みが書かれています。
この札がある理由によって最終的には幻となってしまった訳です。
それはなぜかというと・・・実は第一次稿の詠み札には、もう1つ気になる札があります。
それは『ほ』の札であり、この札の最初の案は『誇る群馬の水力電機』となっていました。
しかし制作当時、浦野先生はどうしても文豪『田山花袋』を札に採用したい!という強い思いがあったのです。
その理由は、田山花袋が書いた『東京の三十年』という自伝小説。
この小説には、明治時代の国民が靖国神社に親しみを持って参拝する情景が描かれています。
浦野先生は、田山花袋を上毛かるたに採用すれば、多くの人にこの小説の存在を知ってもらう事ができ、『靖国は本来軍人の神社ではなくて幕末以降の日本近代化に尽くした人々を祀った神社なので、日本人が祖先を敬う場として靖国神社を再興すべきだ』という自身の思いを広めることができると考えていました。
その為、最初の案にあった『誇る群馬の水力電機』を『誇る文豪田山花袋』に変更し、水力のことは『り』の札で『理想の電化に電源群馬』と詠み、『両毛境の渡良瀬川』は泣く泣く外したという訳です。たかがかるたではありますが、この決定はとてもつらいものだったと思います。
もうすぐ4月。わたらせ渓谷鉄道沿いの桜は本当に綺麗です。皆様是非足を運んでみてはいかがでしょうか?
2022年3月8日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊