群馬の天候の特徴として真っ先に思い浮かぶのが雷と空っ風。
私はこの札を見ると高校時代の自転車通学の事を思い出します。部活でへとへとに疲れている中、夏は雷の鳴り響く夕立の中をびしょ濡れになりながら必死で自転車を漕いで帰り、また冬は空っ風の超逆風の中を漕いで帰り・・・
今となっては良い思い出ですが、当時は『一生家に着かないんじゃないか?』と考えてしまうくらいそれはそれは過酷な登下校でした。
さて、その中でも今回は『雷』について語りたいと思います。
皆さんもご存知の通り、全国的に見ても群馬県は非常に雷の多い地域なのですが、その理由はひとえに山が多いから。夏に太平洋高気圧の勢いが増すと湿気をたっぷり含んだ暖かい南風が吹き、この風が群馬の山にぶつかると上昇気流が発生します。
そしてその湿気が上空で凍り、粒と粒がぶつかり合って電気を起こし県内の地面に放電されます。これが雷です。
その為、古くから群馬県民の生活と雷は深い関わりを持っていました。
例えば昔の人は赤城山のことを『くろほ』と呼んでいましたが、これは雷をもたらず『黒い雲が発生する峰』という意味になります。
また同じように榛名山のことを雷(いかずち)の生まれる峰という意味で『いかつほ』と呼んでいましたが、これが現在の『伊香保』の語源となったと言われています。
また更に、昔の県民生活と雷が密接な関係を持っていた証拠なのが、群馬のあちらこちらにある『雷電神社』の存在。
現在Googleで検索すると前橋市内に3つの雷電神社があることを確認できますが、県全体を見渡すと20社ほど存在しており、また明治時代にまで遡ると昔は300以上もあったとも言われています。
そしてそれらの総本宮として知られているのが板倉町にある『板倉雷電神社』。
この神社を創建したのはあの聖徳太子。西暦598年、当時この付近は沼だったのですが、そこに祠を作って神を祀ったことが始まりとされています。
更にそれから千年以上経った1674年、当時館林藩の藩主をしていた後の将軍:徳川綱吉がその社殿を再建しています。
実はこの綱吉は大の雷嫌いだったそうで、将軍になった後も雷で江戸城の天井が落ちないよう何度も改修を命じたり、また雷鳴がとどろくたびに家臣を呼びつけ、鳴りやむまで帰してくれなかったり。
だからこそ綱吉は雷電神社の再建にも力を入れたのかもしれません。
今も昔も雷は人命を奪う怖い存在ですが、一方で農作物を育てるのに必要不可欠なものでもありました。その為、群馬の人々は古くから雷を神様として厚く信仰していたのです。
2023年1月17日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊