今から約700年前、鎌倉幕府を倒す為に立ち上がった新田義貞。
当時の幕府は北条氏が政権を握っていましたが、その身勝手な政治のやり方に武士達の間では不満が高まっていました。
その為1333年5月8日、義貞は後醍醐天皇の命のもと、現在の太田市にある生品(いくしな)神社で兵を挙げ、一気に鎌倉へ攻め入って、同年5月22日に14代執権である北条高時らを滅ぼし、鎌倉幕府を倒しました。
このわずか2週間で成し遂げた出来事がまさに『歴史に名高い』訳です。
さてこの『れ』の絵札ですが、よく見てみると新田義貞が刀を持ってお祈りをしているような姿が描かれています。
これはいつどこで何に向かってお祈りをしているのか、皆さんはご存知でしょうか?
そのカギを握っているのが、鎌倉の湘南の海にある岬:稲村ケ崎。
我々の世代だと桑田佳祐さんが監督を務めた1990年公開の映画『稲村ジェーン』の舞台となった場所でも有名ですが、実はこの場所が義貞を鎌倉幕府倒幕へと導いた大きなポイントなのです。
挙兵した義貞はその後更に多くの兵を味方につけて鎌倉を包囲します。
しかし鎌倉は海と山に囲まれたいわゆる『天然の要塞』であり、幕府へと侵入できる経路は限られていました。
その為義貞の軍は当初3つの方向から鎌倉に攻め入ろうと挑戦したものの全て撃退されてしまったのです。
そこで考えたのが稲村ケ崎から鎌倉へと侵入するという斬新奇抜な方法。
実際にこの場所に来ると分かるのですが、稲村ケ崎は切り立った崖に波が勢いよく打ち寄せており、ここを人が渡ればたちまち波に流されてしまう事は容易に想像ができます。
しかし義貞はこの時、自分が持っている刀を海に投げ入れて祈りを捧げます。すると海の龍神がこれに応じて大きく潮が引き、出現した陸地を渡って義貞は鎌倉へと軍を進めました。
そして、この龍神に祈りを捧げたシーンが現在の『れ』の札に描かれている訳です。
もちろんこれは伝説であり、本当にそんなことが起こったのかは分かりません。
しかし事実として、義貞はこの稲村ケ崎を突破して鎌倉へと進入し、幕府を倒しているのです。
この稲村ケ崎、私の家からクルマで30分程度の所にあります。
現在の稲村ケ崎は海浜公園になっているのですが、義貞の軍が渡ったといわれる水際は当時のままであり、更にここには明治天皇が、新田義貞の祈りを捧げたシーンについて詠んだ歌碑もあります。
稲村ケ崎から海へ眺めるとすぐそこに江ノ島があり、また天気の良い日は富士山も望む事ができます。倒幕の為に軍を進めた義貞が当時どんな景色を見ていたのか?是非皆さんも鎌倉にお越しの際は稲村ケ崎に寄ってみて下さい。
2023年2月7日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊