群馬県のほぼ中央にそびえ立つ標高1828mの赤城山。
富士山に次ぐ長さの裾野を持つこの山の美しさは、古くから多くの人を魅了し続けており、現在では日本百名山および日本百景の1つにも選ばれています。
また大沼・小沼などの自然はもちろん、キャンプ場やスキー場などもあることから1年を通じて多くの観光客が訪れる県内有数の観光スポットとしても知られています。
しかしほとんどの方があまり意識していないと思いますが、現在気象庁が発表している火山の分類によると赤城山は列記とした『活火山』に位置付けられています。
普段見ていてもあまり噴火する気配はありませんが、鎌倉時代に書かれた『吾妻鏡(あずまかがみ)』という歴史書によると、今から約800年前の1251年に大規模な噴火があったという記録が残されています。
一般的な火山の活動期間は数十万年と言われていますので、800年前というのは火山にとってはつい最近のこと。今後噴火する可能性はゼロではない訳です。
更にこの赤城山、大昔は富士山よりも高い山だったという学説があるのを皆さんはご存じでしょうか?
赤城山や富士山のような長い裾野を持つ山のことを地学の世界では『成層火山』と呼びます。
これは1つの火口から何度も何度も噴火が起こったことでできる山のことであり、火口から流れ出た溶岩や火山灰などが円錐状にどんどん積み重なっていくことで長い裾野が形成されていくのです。
従いまして、赤城山も50万年くらい前は富士山のようにきれいな円錐状をしていて、この頃の赤城山の標高が富士山よりも高かったのではないか?と考えられている訳です。
ただしその後に大規模な噴火が何度も起こったことにより、その爆発によって山頂部分が崩れてしまいます。
また更に、マグマが噴き出した通路は噴火が終わると冷え固まって空洞になります。
この空洞が土の重さで陥没したことにより形成されるのが『カルデラ』。そしてその陥没したカルデラに水が溜まったことでできたのが現在の大沼・小沼であり、このような経緯で現在の赤城山は形作られた訳です。
もちろん富士山より高い山だったのでは?というのは1つの説であって証明されている訳ではありません。学者によっては標高2500m程度だったのではという方もいらっしゃいます。
本当のところはどうなのかは分かりませんが、いずれにしろ、大昔は今の標高よりも高かったことは間違いないようです。
普段見慣れている群馬県のシンボル:赤城山が、もしかしたら昔は富士山より高かったのではと考えるとちょっと嬉しくなりませんか?
2023年7月4日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊