沼田市の片品渓谷にある『吹割(ふきわれ)の滝』。
その名前からも想像できる通り、岩の軟らかい部分を片品川の流れが徐々に侵食して割れ目のような形が生じ、あたかも巨大な岩が吹き割れたように見えるところから名付けられました。
このような形状は非常に珍しく、1936年に国の天然記念物および名勝に指定されています。
さて、その吹割の滝から150mほど上流へ行くと、この地域の方にとって非常に重要な場所があります。
それは『浮島観音堂』。ここに『浮島如意輪(うきしまにょいりん)観音』という黄金の像が祀られています。
この像を作ったのは、江戸初期の彫刻職人と言われている左甚五郎(ひだりじんごろう)。
この名前を聞くとピンと来る方もいると思いますが、日光東照宮にある『眠り猫』をはじめ、日本全国に100以上の作品を残している江戸時代を代表する伝説的な彫刻職人です。
日光東照宮が完成したのは1636年。しかし完成後も甚五郎は頻繁に日光へと足を運んだそうで、その時に片品で宿を借りた際、一日で彫り上げたとされる観音像なのです。その為、地元では当時からこの像を大切に扱ってきました。
しかし、この像ができて200年以上が経過した1893年、事件が起こります。
当時まだ木彫りのままだったこの観音像を、ある人物が前橋の石丸という職人の家へ持ってきて金箔を塗るよう依頼します。石丸は喜んでその依頼を受け、丁寧に金箔を塗って黄金の像に仕立て上げます。しかしその後、いつまで経ってもその依頼者が受け取りに来ません。
仕方なくその像は石丸家で保管することになったのですが、その後、時代は明治から大正、昭和へと変わっても誰も引取りに来ません。そして時代は第二次世界大戦へと突入。
終戦直前には前橋大空襲が起き、石丸家も焼けてしまったのですが、空襲寸前に観音像をリヤカーで運び出し、何とかして観音像を守り抜いたのです。
そしてやっと元の村に戻ってきたのは1952年3月。黄金に輝く像は大勢の村人たちに迎えられ、しばらく近くの寺に仮安置された後、浮島観音堂へ置かれました。
金箔塗りを依頼してから96年。観音像はやっと元の場所へと戻ってきたのです。
吹割の滝は冬になると遊歩道が凍結してしまう為に閉鎖されるのですが、毎年4月18日になると滝開きが行われ、それと同じ日にこの観音堂では『浮島観音祭』が行われます。
また、この時期の吹割の滝には尾瀬からの雪解け水が勢いよく流れ込み、一年間で一番ダイナミックな光景となるそうです。
現在も吹割の滝の安全を見守る浮島如意輪観音像。吹割の滝を訪れた際には是非その観音堂にも足を運んでみて下さい。
2023年8月1日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊