かつては群馬県のみならず日本経済全体を支える産業であった養蚕業。
現在は化学繊維の台頭により大きく衰退してしまっていますが、明治時代の初期は海外輸出額の半分が生糸によるものであり、そしてその3分の1が群馬県産であったと言われています。
また当時、県内の約6割の世帯が養蚕農家であり、更には富岡製糸場を代表とする大規模な生産施設もあったことから、群馬を代表する産業へと発展していった訳です。
そしてそれ以外にも、群馬の養蚕の象徴でもある施設が下仁田町に存在します。
それは富岡製糸場や田島弥平旧宅と共に世界遺産に登録されている『荒船風穴』。
皆さんはこの施設が日本の養蚕にどんな役割を果たしていたのかをご存知でしょうか?
荒船風穴は、下仁田で養蚕農家を営んでいた庭屋静太郎(にわやせいたろう)によって1905年に建設された蚕の卵を貯蔵する施設。
基本的に蚕の卵は春になると孵化する為、大昔の蚕の飼育はこの時期にしかできませんでした。
しかしその卵を冷蔵保存すると孵化の時期を遅らせることができ、夏や秋にも養蚕が可能となります。そうすることで繭の生産量を飛躍的に伸ばすことができる訳です。
そして冷蔵保存する為に当時作られたのが荒船風穴。
この”風穴”とは、岩と岩の隙間に氷が存在して溶けにくくなっている場所を指しており、この隙間に空気が通り抜けると出口付近から冷たい風が出てきます。
この冷たい風を利用して蚕の卵を冷やしていたのが荒船風穴であり、まだ電気式の冷蔵庫が無い時代に天然の冷風を利用して保存していた訳です。
もちろん、このように冷気を利用して卵を冷やす風穴は日本国内に数多くあったのですが、驚くのは荒船風穴の貯蔵能力。
養蚕業の方はご存知の通り、蚕の卵は蚕紙(さんし)と呼ばれる紙の上に産ませて保存するのですが、国内各地の風穴の貯蔵能力はだいたい1万~10万枚程度。
それに対して荒船風穴の貯蔵能力は110万枚と断トツで大きく、その為一時は日本国内だけでなく朝鮮半島の養蚕業者からも卵の貯蔵を委託されていたと言われています。
このように養蚕業の発展に大きく貢献した荒船風穴ですが、その後化学的な人工孵化の方法や電気式の冷蔵施設が開発されたことによって徐々に役目は失われていき、昭和初期にはすでに稼働していなかったようです。
しかし岩の間を通ってくる冷風は現在でも感じることができ、また施設の内部を見学することも可能です。
群馬の製糸産業を発展させる為に明治の人たちの知恵が結集された荒船風穴。まだ行ったことのない方は是非訪れてみて下さい。
2024年11月12日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊