群馬と新潟の県境に位置する清水峠。
1931年、ここに上越線の鉄道トンネルとして全長9702mの清水トンネルが開通しました。
これは当時世界第9位の長さであり、特徴はその前後に螺旋状の線路があること。ここを通る電車はこの螺旋を上り、清水トンネルを通過したあと反対側の螺旋を下るという形を取っていました。
また1967年には新清水トンネルが新たに開通し、従来の清水トンネルは上り線専用、新清水トンネルは下り線専用となります。
更に1981年には上越新幹線の開業に伴い大清水トンネルが開通。現在、この清水峠には合計3つの鉄道トンネルが通っています。
しかしこの清水峠、現在では電車で行き来できるものの、日本有数の豪雪地帯であることは今も昔も変わりません。
その為、人間の往来については壮絶な歴史をたどってきたことを皆さんはご存じでしょうか?
そもそも関東と越後を結ぶ交通路として古くから栄えていたのは、三国峠を往来する『三国街道』。
越後の戦国大名であった上杉謙信も関東遠征の際にはこの街道を使っていたのですが、三国峠越えは若干遠回りであり、清水峠も越後から上野に入る最短ルートとして急を要する際には通行していたと言われています。
しかし江戸時代に入ると、幕府の警備上の理由により清水峠は閉鎖され、越後~上野間の交通路は三国街道に一本化されます。
以降200年以上に渡って清水峠は通行禁止となり、商人や地元の人々がもう一度この道を開くよう繰り返し要請したのですが、承諾されることはなかったのです。
ただ明治に入ると古い街道制度は廃止され、1874 年、清水峠を新しい道として整備する計画が持ち上がります。
日本海側と太平洋側を最短ルートで結ぶこの計画は、日本が初めて行う近代的な国土開発として注目を浴び、1885年に馬車が通れるほどの車道が建設されます。
そしてこの道は国道 8 号として認定され、開通式には皇族や国会議員など錚々たるメンバーが顔をそろえる中で開催されました。
しかし・・・その翌月。
あろうことか長雨により清水峠に土砂崩れが発生。更にその後すぐに冬を迎えると各所で雪崩も発生し、雪解け後にはすでに馬車の通れる状態ではなくなっていました。
その為、何度か修復が試みられたのですが開通には至らず、結局はお手上げ状態となってしまったのです。
そして1920 年には国道から県道に降格、1970年に国道 291 号線に再度認定されたものの、現在でも自動車はもちろん、徒歩での通行もほぼ不可能な全国でもかなり珍しい国道となっています。
100年以上もの間、人間が往来することのできない国道。それだけ、この清水峠を越えるのは困難だったのです。
2024年2月27日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊