2024年3月26日放送 - わ:和算の大家関孝和


 

 

 江戸時代を代表する『和算』の大天才:関孝和。

この和算とは飛鳥時代に中国から伝わった算術ですが、江戸時代に入り鎖国で海外との交流が無くなった後は国内で独自に発展していきました。

 

数学といえば欧米の学者達が有名ですが、その欧米人との接点が全くなかった時代の日本で和算を発展させた孝和の功績は偉大であり、イギリスのニュートン、ドイツのライプニッツとともに世界三大数学者にも数えられています。

 

 

しかし、その関孝和にも実は国内に強力なライバルがいたことを皆さんはご存じでしょうか?

その人物とは、こちらも江戸時代を代表する天文学者であった渋川春海(しぶかわはるみ)。

実はこのライバルとの勝負によって、孝和は挫折を味わうことになるのです。

 

 

渋川 春海

 

天文学というと宇宙開発の為に近年発達した学問と思われがちですが、実は江戸時代の頃には既に数多くの研究が行われていました。

その理由は『暦』作り。いわゆるカレンダーを作成する為に天文学の知識はとても重要だったのです。

 

また当時、日本では宣明(せんみょう)暦という中国で作られた暦を平安時代から採用していました。

しかし800年もの長い間使われていた為、この頃には誤差が大きくなっていて使い物にならなくなっていたのです。

その為、江戸幕府第6代将軍である徳川家宣(いえのぶ)は関孝和に新しい暦を作るよう指示します。

 

 

将軍から直接命じられた仕事ということもあって孝和は気合十分。そして当時、中国では『授時暦(じゅじれき)』という暦が使われていたのですが、これを基にして新しい暦を作ろうと考えます。

その為、孝和は得意の和算で細かい計算を行い、暦の作成を進めていったのですが、徹底に徹底を重ねた作業を行った為に進捗は遅れに遅れてしまいます。

 

 

そしてその時、孝和の前に立ちはだかったのが渋川春海。

春海は囲碁の家元の家に生まれ育ちながらも小さな頃から天文学を学び、21歳の時に天体観測に基づいて日本の緯度と経度の計測に成功した人物。そして春海は自身の観測データから授時暦を改良した新しい暦を作成し幕府に採用されます。

これが貞享暦(じょうきょうれき)と呼ばれるものであり、日本の歴史の中で初となる国産の暦となったのです。

 

 

しかしこれに落胆したのが関孝和。主君から与えられた使命に応えることができなかった孝和は自分の無力さを嘆き、食事も喉を通らない程に落ち込んだと言われています。

 

群馬県民からすれば非常に残念な話ではありますが、関孝和のような実力者でも長い人生の中で挫折することはある訳です。

であるならば、一般人である我々が1度や2度挫折しても仕方ないと思わせてくれるエピソードでもあります。

 

 

2024年3月26

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

  

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊