赤城山、妙義山と共に上毛三山の1つとして知られている榛名山。
榛名富士や榛名湖に加えて山の東側には伊香保の温泉街があり、また1924年には山頂一帯が県立公園に指定され、キャンプはもちろん一年を通じて多くの観光客が県内外から訪れています。
また平安時代には榛名湖を題材に詠まれた多くの和歌が残っており、明治以降も著名な歌人や画家が訪れ、たくさんの作品が生み出されてきました。
そして昭和初期には、日本を代表する天才画家が榛名湖畔にアトリエを作ったことでも有名です。
その画家とは、今でもたくさんのファンが存在する『竹久夢二』。
竹久夢二と言えば、数多くの美人画を作品として残した大正ロマンを代表する画家。
またそれ以外にも雑誌の広告や服飾など、『デザイン』の分野における日本の草分け的存在として多大な功績を残したのです。
そして晩年は主に榛名湖畔のアトリエで創作活動をしていたのですが、実はこのアトリエ以外にも、自身の芸術を探求する為の『研究所』をこの榛名山に建てようとしていました。
夢二が初めて榛名を訪れたのは1919年。
当時は世間から絶大な人気があって忙しい日々を送っていたのですが、この頃初めて伊香保温泉に訪れたのがきっかけとなり、以降仕事の合間を縫っては足を運び逗留するようになりました。
そして1930年には榛名湖畔に小さなアトリエを創り、ここで『榛名山賦(はるなさんふ)』などの代表作を制作したのです。
しかし、当時の日本は外国の影響を受けて様々な産業で商業化、工業化が進んでいった時代。
それよって日本各地の伝統工芸品や美術品は徐々に人々の生活から姿を消していきました。
その状況に危機感を持った夢二は、俗世から完全に切り離された環境を創り出し、生活と美術を一致させるような作品創りに没頭したいと考え、その為の研究所を創ろうとしたのです。
また更に当時の夢二を悩ませていたのは、マスコミに取り上げられた自身の女性スキャンダル。
その影響で世間から厳しい目を向けられ、夢二の人気は急降下。その為、心のどこかには人里離れた榛名山に隠居したいという想いもあったようです。
しかしそれを建設する為の資金集めをしている最中だった1934年、残念ながら夢二は病気でこの世を去ってしまいます。
研究所を建設する夢は惜しくも叶わなかったのですが、当時建てた木造のアトリエは榛名湖畔に復元されており、現在も見学することが可能です。
数々の名作を生みだした天才:竹久夢二のアトリエ。
是非一度訪れて、彼の愛したアトリエから見える榛名の景色を眺めてみてはいかがでしょうか?
2024年9月24日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊