館林市にある県立「つつじが岡公園」。
昔からこの地域はツツジが咲き乱れる場所として知られており、室町時代の書物には既にこの辺りに「躑躅(つつじ)ヶ崎」という地名が記されています。
また江戸時代になると歴代の館林城主によってツツジが手厚く保護されるようになります。
更にこのツツジを地域の財産としてずっと守っていく為、2017年に館林市は「つつじを愛し保護する条例」を市内に施行し、4月23日を「つつじの日」と制定しました。
それだけ館林の方々はツツジをこよなく愛しており、つつじが岡公園は地元の人たちから『花山公園』と呼ばれて親しまれているのです。
さてこの花山公園ですが、園の北側には城沼と呼ばれる大きな沼があります。
そしてこの沼の対岸に善長寺というお寺があるのですが、ここにつつじが岡公園ととても関係の深いある2人のお墓があります。
その人の名前は『お辻』と『松女(まつじょ)』。皆さんはこの2人の女性の存在をご存じでしょうか?
時は江戸幕府が開かれた1600年頃のこと。
当時、館林城は徳川四天王の1人であった榊原康政(さかきばらやすまさ)が城主を務めていました。そしてその康政には『お辻』という容姿の美しい妾がいて、一身に寵愛を受けていたのです。
しかし、これに嫉妬をしていたのが康政の正室や側室たち。彼女たちは次第にお辻に対して嫌がらせをするようになり、これに耐えられなくなったお辻は自身の身の回りの世話をしてくれていた『松女』という侍女と一緒に2人で城沼に身を投げ、自らの命を絶ってしまったのです。
この事件に対して大そう悲しんだのが康政。そしてその霊を弔う為、「お辻」と「つつじ」の音が似ていることから、康政はつつじの花を城沼の南側に植えました。これが、つつじが岡公園の始まりであり、その後の城主たちによってさかんに増殖が行われ、現在の状態になったと言われています。
ただ、これはあくまで伝説上のお話。実はこれ以外にも、古くから城沼に住んでいた龍神が館林城に仕えていたお辻に恋心を抱き、一緒に沼の中へと入水したという説もあり、どこまでが真実なのかは分かっていません。
とはいえこのお辻が、公園の成り立ちや、館林がつつじの街となったことに深く関係しているのは事実のようです。
現在つつじが岡公園内には約100品種のつつじが1万本以上存在し、花が咲く春になると館林市内の道路が大渋滞を起こすほど多くの観光客が訪れます。その様子を、お辻は沼のほとりにある小さなお墓から見守っています。
2025年10月7日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊