2025年11月11日放送 - ほ:誇る文豪 田山花袋


人間の美しい部分だけではなく、みにくい部分も隠さず描写することを信条とした『自然主義文学』。

そしてこの自然主義文学の第一人者であったのが”ほ”の札に描かれている『田山花袋』です。

 

1872年に館林で生まれた田山花袋は、19歳の時に尾崎紅葉に入門し小説家を目指します。

そして1907年に発表した『蒲団』では若い女性に恋をする中年男性の心を赤裸々に描写し、当時の人々を驚愕させたのです。

 

 

更に翌年、花袋は当時としては国家に対してかなり挑戦的な作品を発表します。

その作品の名は『一兵卒』。皆さんはこの小説をご存じでしょうか?

 

 

 

実は田山花袋は若い頃に博文館(はくぶんかん)という出版社に勤めていたのですが、1904年に日露戦争が勃発すると自ら志願して従軍記者となります。まだテレビもラジオも無い当時は記者が軍に所属し、現地で命がけで戦況を書いた記事を日本へ送って雑誌や新聞に掲載していました。一般市民にとってこれが戦地の状況を把握できる貴重な情報源だったのですが、『一兵卒』はこの時に花袋自身が戦場で見たこと、聞いたことを基に描いた短編小説。

 

 

そして、そのあらすじはと言うと・・・

 

主人公は、戦地での栄養不足により脚気(かっけ)を発症した一人の兵士。その為野戦病院に入院していたのですが、とんでもない衛生環境の悪さに我慢ができず、逃げるように退院します。しかし、病の苦しさに耐え切れず、最終的には戦場で命を落とす・・・というお話。

 

 

印象深いのは、この小説の中に『戦場は大いなる地獄である』という一文があること。

当時の日本は戦争賛成の声が大多数を占めており、快進撃を見せる日本軍に多くの国民が歓喜していました。そのため反戦を訴える声は極めて少なく、戦争そのものを美化する作品が数多く発表されていたのです。

 

そんな中『一兵卒』は戦地における飢えや寒さ、病、仲間の死など起こっている事実を淡々と描写することで戦争を否定的に捉えています。もちろん発表当時はあまり歓迎されたかったそうなのですが、徐々に評価されるようになり、その後の戦争文学に多大な影響を与えることになるのです。

 

 

そして現在、館林にある田山花袋文学記念館では『花袋が見た戦争』という特別展を開催しています。当時彼が従軍記者をしていた際に書いた記事や、戦地から家族や知人に送った手紙などが多数展示されているようです。私もまだ展示を見ていないのですが、今月24日まで開催されているそうなので、ご興味ある方は是非見に行ってみて下さい。

 

 

2025年11月11日

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

 

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊