香川県の寒霞渓(かんかけい)、大分県の耶馬渓と共に日本三大奇勝の1つとされている妙義山。
長い年月をかけて浸食された険しい山肌が特徴であり、1923年には国の名勝へ指定されました。
また妙義山といえば毎年ハイキングを楽しむ方々がたくさん訪れていますが、そのハイキングコースとして人気なのが『石門めぐり』。
このコースには長い年月をかけて自然にできたアーチ状の岩が4つ存在しており、これは『も』の絵札にも描かれています。
そしてそのハイカーの方々からかつて、『妙義のおばあさん』と言われ親しまれた女性がいました。
その人の名前は『柴垣はる』さん。皆さんはこの方をご存じでしょうか?
柴垣はるさんは1883年の東京生まれ。32歳の時に医師であった夫を亡くし、それを機に両親と3人で所有していた妙義山に移住。実は当時、妙義の山一帯はこの柴垣さんの”私有地”だったのです。
そしてその後、山の中でハイカーの為の休憩所を営み始めたのですが、昭和に入った頃には両親も他界。
以降は1人で休憩所を営みながら、ずっと山の中に住み続けていました。
しかし1954年、柴垣さんが71歳の時、この妙義にある全所有地を県に一括で寄付したいと申し出ます。
実は当時、上毛三山の中で赤城山と榛名山はすでに県立公園となっており、県が直接管理していました。
ただ妙義山だけは柴垣さんの私有地と一部の国有林が混在していた為に取り残されていたのです。
そのことを知ったからなのか、またはご自身の年齢を考えての事だったのかは分からないのですが、柴垣さんは知人を通じて県に連絡を取り、東京ドーム6個分の広さに相当する約30万平方メートルの土地の寄附を伝えてきたのです。
そしてその申し出を県は喜んで受け入れ、妙義山一帯を県立公園化することで県議会でも可決。以降、山中における案内板の建設や歩道の改修、またトイレや危険防止施設の充実など登山客の為の施設が急ピッチで進められました。
この寄付については当時県内でも大きな話題となり、また当時の北野県知事は感謝の意を込めて柴垣さんを伊香保温泉に招待したと言います。
とても多くの方から愛された妙義のおばあさんだったのですが、1966年1月21日に84歳で逝去。その時には下仁田小学校の校庭を使って県葬が行われ、多くの人が参列したと言います。
そしてその3年後にあたる1969年には、柴垣さんが寄付した土地を一部として『妙義荒船佐久高原国定公園』が誕生。
長年、柴垣さんが一人で守り抜いてきたのこの妙義山は、現在も多くの登山客が訪れています。
2025年12月16日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊