上毛かるたが制作された1947年は、戦後最大と言われた『カスリーン台風』が襲来した年。
これによる水害により県内では死者592名、行方不明者107名の大惨事となりました。
更に人々を悩ませていたのが戦争の影響による深刻な電力不足。そのため停電は日常茶飯事であり、県内に多くのダムを建設することで洪水対策や水力発電による電力供給が急務となっていました。
今となっては『理想の電化』と言われてもピンと来ないと思いますが、かるた制作当時の人々にとってみれば、安定して電気が使えるというのは憧れの生活だったのです。
さて話は変わって、以前もこのコーナーで紹介しましたが、群馬県内で初めて水力発電が行われたのは現在の前橋市総社町にあった『総社発電所』。
1894年にこの付近に流れている天狗岩用水という水路を使って発電を行い、当時初めて前橋の中心街に設置された電灯に電力供給が行われました。これによって多くの前橋市民が初めての電灯を見物に来たと言います。
そして同じ年、群馬県内にもう1カ所の電気事業会社が設立されました。
それは『桐生電燈合資会社』。皆さんはこの会社のことをご存じでしょうか?
これは文字通り、当時桐生にあった『日本織物』という会社が自家用水力発電所を建設し、その余剰電気を電灯用として桐生の街中へ供給するために設立した会社。
日本の水力発電による電気事業としては前橋に次ぐ6番目の開業となったのです。
そもそも日本織物株式会社は1887年に創業。
当時の織物生産の大半は分業による手作業で行われていたのですが、日本織物はそのほとんどの工程を洋式機械によって行い、全国的に見ても画期的かつ近代的な経営を行ったのです。
そしてその機械を稼働させる為の電力は渡良瀬川から水路を作って取り入れた水流によって発電し、工場のみならず桐生の街中にある1000個以上の電灯に供給していたと言います。
しかし1947年、冒頭でお話したカスリーン台風によって水路が決壊。
その結果、発電所はあえなく稼働停止となってしまいます。とはいえ設立以降の58年間、織物産業の原動力として稼働し、桐生の発展を支え続けてきた訳です。
この発電所の場所ですが、現在の桐生総合厚生病院のすぐ近くに建っていました。
そして1988年、この病院の改築工事を行っている際、発電所跡のすぐ傍で日本織物創立当初の煉瓦積の遺構が発見されます。
更に使用されているこれらの煉瓦は、工場建設のために桐生で製造されたものであることも明らかとなったのです。
現在も病院のすぐ近くでこの遺構を確認することができます。
桐生の近代化を象徴する煉瓦、まだ見た事のない方は是非訪れてみて下さい。
2026年1月27日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊