明治時代の三大老農の1人と言われている船津傳次平。
この『老農』とは、明治時代に農業技術の改良や普及につとめた優れた指導者という意味であり、傳次平はその3人の中でも一番の功績を残した人物と言われています。
それが認められ、45歳の頃から現在の東京大学農学部にあたる駒場農学校の講師を務めました。
またその研究の為に当時荒れ地であった駒場界隈を開墾して水田を作ったのも傳次平。
今でもこの水田の一部は残っており、現在は名門:筑波大学附属駒場中学と駒場高校の生徒達が農業実習の場として使っています。そして毎年300キロものもち米が収穫され、毎年入学式や卒業式で御赤飯として振舞われるのだそうです。
さて話を戻しますが、それから8年後の1885年、駒場農学校を退官した傳次平は政府から『農事巡回教師』という役職に任命されます。これは農業の専門家が地方を巡回して一般の農民に講演や実技指導を行う役であり、傳次平は1898年の亡くなる直前まで日本全国を渡り歩いて農民に直接指導をしていたと言われています。
そして興味深いのは、農民へ指導する際に傳次平が用いた方法。
つい最近まで東京の農学校で教鞭を執っていた大先生ですから、その内容はとても難かったのでは・・・と思ってしまいますが、実は傳次平は彼らに自分の言いたい事をきちんと分かり易く伝える為にある方法を取っていたのです。
それが・・・『ちょぼくれ節』。
この『ちょぼくれ』とは江戸時代後期に流行した歌であり、錫杖や鈴でリズムを取りながら歌う大道芸の一種。
当時は物乞いをする僧が木魚を叩きながら歌っていた親しみやすい歌であり、関西では『ちょんがれ』とも呼ばれていました。
また当時は十分な教育制度が無かった為に字の読み書きができない農民もたくさんいた時代。
そのため自身の著書である『稲作小言』や『里芋栽培法』などの内容を語呂良く節を付けて歌うことで、重要な農作業の手順や技術的な内容を容易に覚えらえるよう工夫をした訳です。
役人や学者といったエリート層がいきなり庶民の田畑に来てトップダウンで指導を行うというのは、返って反発や無関心を招いてしまうことも懸念されます。
しかし傳次平は、そこに大衆芸能の力を借りることによって、農民たちの心の壁を取り払ったのです。
難しい事を単に難しく伝えるのではなく、聴き手のレベルに合わせて伝えるということ。
当然のことではありますが、これができている人は意外と少ないのではないでしょうか?この船津傳次平の姿勢を我々は見習わなければなりません。
2026年2月17日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊