江戸時代を代表する『和算』の大天才:関孝和。
この和算とは飛鳥時代に中国から伝わった算術なのですが、江戸時代に入り鎖国で海外との交流が無くなった後は国内で独自に発展していきました。
数学といえば欧米の学者達が有名ですが、その欧米人との接点が全くなかった時代の日本で和算を発展させた孝和の功績は偉大であり、イギリスのニュートン、ドイツのライプニッツとともに世界三大数学者にも数えられています。
しかしその和算も、明治に入ると学校教育に西洋数学が採用されたことから急激に衰退してしまいます。
今となっては和算の計算方法を知っている日本人はほとんどいなくなってしまいましたが、実は関孝和の功績と言っても良い、ある算数の言葉が現代の学校教育にも使用されています。
それは・・・『ひっ算』。
先ほども申し上げた通り、関孝和が生まれる前の日本の数学は中国から伝わったものがベースになっており、「算木(さんぎ)」という棒状の計算道具や算盤(そろばん)などが使われていました。
そろばんは今でも見かけることがあって実際に習っていた方もいらっしゃるかもしれませんが、とても素早く四則演算できることが特徴です。
また算木については現代では全く使われていませんが、方程式を解くこともできた道具だそうで、当時は様々な場所で使われていました。
しかしそんな算木でも複数の変数がある難しい方程式には対応しておらず、和算を発展させるには不都合が生じていたのです。
そんな中、この問題に立ち向かったのが天才数学者の関孝和。
彼は「傍書法(ぼうしょほう)」という独特の手法を発明して、この問題を解決することに成功します。
具体的に言うと現代の小中学校の数学では、分からない変数をxやyと置いて計算する方法を教えていますが、当時そんな方法はまだ無かった為、関孝和は甲、乙、丙という風に漢字で変数を表し計算していく方法を発案した訳です。
このように算木やそろばんが無くても紙と筆だけを使って計算を進められるのは現代では当たり前のことですが、当時としてはかなり画期的であり、「筆を使った算術」ということで「筆算(ひっさん)」という言葉が生まれたのです。
とはいえ明治以降の数学ではxやyを使った方法が一般的になってしまった為、傍書法は全く使われなくなってしまいました。
しかし鎖国によって海外の情報が全く入って来ない江戸時代に、西洋数学と同じような方法をたった1人で開発・考案していたのが関孝和。皆さんが想像している以上の大天才なのです。
2026年2月24日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊