2021年5月25日放送 - し:しのぶ毛の国 二子塚


昨年(2020年)、吉永小百合さんが出演したJR東日本「大人の休日倶楽部」のテレビCMで話題となった群馬の古墳。

この「し」の札はその群馬に数多く存在する古墳について詠んだ札であり、中でも前方が四角くて後ろが丸い『前方後円墳』の事を、横から見ると塚が2つ連なって見えることから『二子塚』と呼ばれています。

 

 

群馬県内には大小さまざまな古墳がなんと13000基以上もあると言われています。

その中でも、太田にある『天神山古墳』、またJRのCMで紹介された前橋の『大室古墳群』や高崎の『保渡田古墳群』などが前方後円墳であり、特に天神山古墳は長さ210mと東日本最大の大きさを誇っています。

 

 

さて、そもそも群馬にはなぜこんなに多く、かつ大きな古墳が存在しているのか、皆さんはご存知でしょうか?

大きな古墳があるという事はかつてそこに権力を持つ人間が存在していたということになるのですが、まさに5~6世紀頃の群馬には東日本を代表する豪族が存在していました。

 

 

御存知の通り、群馬は山に囲まれていて川もたくさんあり、農作物を作るにはうってつけの土地です。

かつて群馬県、栃木県あたりは『毛野国(けのくに)』と呼ばれていましたが、この『毛』とは稲などの穀物を表していると言われており、このことからも当時から群馬は農業が盛んであったことが想像できます。

その為、多くの人がこの場所に住み着き、その中から有力な豪族が誕生していく事になる訳です。

 

 

更に当時、日本の政治経済の中心だった近畿地方の大和朝廷は、関東や東北への影響力を拡大していく為、毛野国の豪族たちと同盟を結ぼうと画策します。

その際、彼らは毛野国で盛んに飼育していた馬を朝廷に供給し、その関係性を深めていったと言われています。

ちなみに『群馬』という県名は、かつて朝廷に供給するほど数多くの馬が存在していたことに由来するという説もあるそうです。

 

 

県内には100m以上の前方後円墳が多く存在しますが、これだけ大きな古墳は当時大和朝廷の許可が無ければ造る事のできない特別なモノでした。

このことからも、当時の群馬の豪族が大和朝廷と深い関わりを持っている事が分かる訳です。

 

 

当時の人達の生活についてはまだまだ研究途中であり、分かっていない部分もたくさんあるそうです。是非一度群馬の古墳に足を運び、『毛野国』と呼ばれていた古代の群馬をしのんで見てはいかがでしょうか。