2021年7月13日放送 - ち:力あわせる二百万


 

 この札はご存知の通り、群馬県民の人口をそのまま詠み札にしたものです。

上毛かるたが制作された1947年はまだ戦後間もない時期であり、『この苦難を力を合わせて乗り越えよう』という意味を込めて、当時の県民の人口であった約160万人の数字を使い、『力合わせる160万』とした訳です。

 

 

その後、人口が増えるに伴って1973年に170万、1977年に180万、1985年に190万と詠み札が改訂され、1993年に現在の『200万』になりました。

その為、『自分が上毛かるたをやっていた頃の”ち”の札は何万だったか?』を言ってしまうと大体の年齢がばれてしまう訳ですね。気を付けましょう(笑)

 

 

ただこの『年を追うごとに詠み札が変わる』というシステム、今や群馬県民にとって何も違和感はないですが、競技かるたで詠み札をコロコロ変えるというのは通常あり得ないことなのです。

例えば同じ競技かるたである「百人一首」は明治時代から大会が開かれていますが、札の中身は当初から全く変わっていません。変わってしまうと選手達は改めて覚え直さないといけないので、普通は変えないのです。

しかし上毛かるたは人口が増えるごとに最新の数字に修正していくことで、逆に各世代の方々に親しみを持ってもらえたのではないかと思います。この点が他のかるたとは全く違っている訳です。

 

 

また現在の『ち』の絵札には大きく「群馬」という漢字二文字が描かれていますが、1968年以前に発行されている上毛かるたには別の言葉が書かれています。それは何という言葉なのかご存知でしょうか?

 

 

正解は・・・『文化日本』。

 

 

この言葉がどんな意味を持っているのかと言われると、戦後生まれである私自身もきちんと説明することが出来ません。

ただ制作当時の日本はGHQの支配下にあり、日本人が日本人らしく生きることも良しとされなかった時代。そんな世の中で如何にして日本人の手で日本文化を守っていくべきかを作者は『ち』の札を通して訴えていたのだと思います。

 

 

さて、皆さんご存知のように現在は少子高齢化の影響により群馬県の人口は減少しており、令和3年6月現在の人口は191万7000人です。

そう遠くない将来、190万人を割ってしまうことでしょう。

 

 

そうなると札の詠みはどうするのか?190万に戻すべきなのか?

県は今のところ意向を明らかにしておりませんが、皆さんはどう思いますか?