2021年7月27日放送 - て:天下の義人 茂左衛門


この札は江戸時代の沼田藩に住んでいた農民『杉木茂左衛門』を詠んだ札です。

今から30年以上前に上毛かるたをやっていた渡邉少年は正直バカだったので、この方の功績も分からず、『天下の義人ドラえもん!』などと叫んで遊んでいましたが、今考えるととんでもない話です。申し訳ございません・・・

自らを犠牲にして人々を苦しみから救った正義感あふれる素晴らしい人なのです。

 

 

皆さんはこの『杉木茂左衛門』がいったい何をした人物なのか、ご存知でしょうか?

 

時は17世紀後半、当時の沼田一帯は真田伊賀守(いがのかみ)という人物が沼田城主として治めていました。

しかしこの伊賀守はなかなかの悪者でして、自分が贅沢な生活をしたいばかりに農民から破格の年貢を納めさせ、村人たちを苦しめていたのです。

 

 

とはいえ人々はそれに逆らう事もできず、皆飢えと貧しさに耐えながら生きていたのですが、その悪政を何とかしようと立ち上がったのがこの茂左衛門。

沼田一帯の村人達を救う為に直訴文を用意して当時の江戸の将軍:徳川綱吉に届け、救いを願うことに成功したのです。

その結果、伊賀守は幕府から城や領地を没収されるという厳しい処罰を受けました。

 

 

しかしこれは現代では信じられない事ですが、当時は農民が直接幕府に直訴をすることは正しい事を言っていようがいまいが許されないこと。その為1686年、幕府への密告の罪として茂左衛門自身も妻子と共に磔(はりつけ)の刑に処せられてしまったのです。

 

 

実はその刑を執行した直後、『茂左衛門の罪を許すように』という将軍からの知らせを持った使いが沼田に到着したという説もあります。メールはもちろん電話もないこの時代、もう少し早くこの使者が到着してくれていれば良かったのですがね・・・

 

 

また当時、罪人として処刑された人間に対してお墓を作る事も禁止とされていました。

その為、村人たちは茂左衛門の供養の為に墓ではなく石地蔵を作り、千日間、毎日感謝の気持ちで祈り続けました。

この時の石地蔵が祀られているのが『て』の絵札に描かれている月夜野の『茂左衛門地蔵尊千日堂』です。今でもお彼岸の時期などでは大勢の人でにぎわっています。

 

 

この札が上毛かるたに採用されたのはおそらく、時代は変わっても社会の為、仲間の為に貢献できるような大人になってほしいという意図が作者にあったのだと思います。

小中学生の皆さん、是非この夏休みに月夜野の千日堂に行って茂左衛門の功績を詳しく調べてみてはいかがでしょうか。

また上毛かるたの札の内容を自由研究として調べてみても面白いと思いますよ!