2021年8月10日放送 - な:中仙道しのぶ安中杉並木


 

この札は私、渡邉の故郷の安中市にある国の天然記念物『安中原市杉並木』を詠んだ札です。

たまに帰省してここを通ると、中学生の頃に参加した『安政遠足』を思い出します。
毎年5月になると侍の格好をはじめ、色んなコスプレをしたマラソンランナーがこの杉並木を通るのです。

 

 

この中仙道は江戸時代初期に整備された五街道の1つであり、東海道と共に江戸と京都を結ぶ当時の交通の大動脈でした。

中仙道を通って江戸から上州に入ると新町、倉賀野、高崎、板鼻、安中、松井田、坂本と7つの宿場町があり、碓氷峠へと抜けていきます。

そしてその中の安中宿と松井田宿の間に、約700本以上の杉が江戸時代初期に植えられたのです。

 

 

このような杉並木は安中だけに存在するのではなく、日光街道や東海道の箱根にある杉並木など、当時主要な街道には杉や松などが植えられました。

これは並木を作る事で夏は行き交う人々に日陰を与え、冬は吹き付ける風から旅人を守ることができるからです。

また当時の宿場と宿場の間は何もなく、雪が降って辺り一面が真っ白になってしまうと旅人はどちらに歩いてよいか分からなくなってしまいます。

そういう時には並木に沿って歩けば迷う事がなくなり、いわば道しるべのような役割もあった訳です。

 

 

さてこの安中杉並木。実は県内のある建物の建築材料としても使われたことを皆さんはご存知でしょうか?

それは、前橋市民の方ならお馴染みの国の重要文化財『臨江閣』です。

臨江閣の別館は明治43年に前橋市で行われた『連合共進会』というイベントの貴賓館として建築されたのですが、その際に安中杉並木の一部を伐採し、建築材として使用したという記述が残されています。

またその翌年の明治44年、碓氷郡の役所が火災にあって再建した時にも建材として使われており、20世紀初頭の県内の近代建築にも大きく貢献しているのです。

 

 

しかし昭和になってからは車の排気ガスなどの影響で枯れる杉も多く、当初700本あった杉は現在わずか13本しか残っていません。

地元の方々の懸命な保存活動が行われていますが、ほとんどの杉で内部の空洞化が進行してしまっている状況です。

植物なのでいつかは枯れてしまうのですが、安中の象徴でもある杉並木、少しでも長く残ってほしいと祈るばかりです。

 

 

また冒頭で申し上げた安政遠足は現在、新型コロナウィルスの影響により2年連続で中止となっています。

こちらも早く再開できればと願うばかりですが、その際には是非皆さんも参加して杉並木を、そして中仙道を味わってみて下さい。