2022年11月15日放送 - ま:繭と生糸は日本一


 

群馬のお家芸と言っても過言ではない養蚕業。

 

札に詠まれている通り、繭の生産量は1954年から現在に至るまでずっと日本一を誇っており、2018年度のデータによると、全国の繭の生産量の36%、また生糸の生産量の69%が群馬県産となっています。

化学繊維の台頭により養蚕業自体が衰退して行っているものの、群馬を代表する農産業であることに代わりはありません。

 

 

そして今年2022年は、群馬が繭と生糸の生産日本一となるきっかけを作ったある人物の生誕200周年にあたります。その人物とは『田島弥平』。

 

 

 

2013年に『富岡製糸場と絹産業遺産群』が世界遺産リストに登録された際、その構成資産として田島弥平の旧宅も登録されました。
今でもこの旧宅には田島弥平の子孫が暮らしており、人の住む家が世界遺産となった事でも当時話題になりましたよね。

しかしこの田島弥平、実際養蚕に関してどんな功績があるのか、皆さんはご存知でしょうか?

 

 

1822年、弥平は伊勢崎の養蚕農家の後継ぎとして生まれました。

当時、養蚕農家の中で問題となっていたのは、飼育している蚕が病気によって死んでしまうこと。

その為弥平は自身の飼育技術を向上させる為、当時養蚕が盛んだった東北や長野などを回って飼育方法の視察を行ったのです。そして、あることに気付きます。

 

 

それは、立派な建物で養蚕を行っている農家よりも貧しくて壁が穴だらけの農家の方が、蚕が良く育っていること。その理由は、蚕の病気は通気が悪いことで起こる『カビ』が原因だったのです。

 

この発見を基に弥平は通気を最重要視した養蚕方法である『清涼育(せいりょういく)』を提唱。またそれを「養蚕新論」という本にまとめたことで、空気の循環が養蚕には必須であることを理論的に体系づけたのです。

 

 

実際田島弥平旧宅を見てみると、屋根に『総やぐら』と呼ばれる通気口のようなものが設けられているのですが、これこそが群馬の養蚕を飛躍的に発展させた田島弥平の大発明なのです。

 

 

そういえば、私の母の実家が前橋の青梨子町にあるのですが、田島弥平旧宅の写真を見るといつも母の実家を思い出します。その家も明治時代に建てられた古い建物なのですが、造りがほぼ田島弥平旧宅と同じです。

 

弥平の発明と共に、当時多くの養蚕農家が弥平の言う通りに家を改修したそうで、おそらく母の実家もそれにならって建てられたのだと思います。

 

 

そして今月(11)20日と26日、田島弥平生誕200周年を記念して地元の伊勢崎市が世界文化遺産「田島弥平旧宅」の特別公開や専門家の講演などの記念イベントを行うそうです。

弥平が如何に群馬の養蚕業に貢献をしたのか、是非皆さんの目と耳で確かめてみて下さい。 

 

2022年11月15日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊