2022年12月20日放送 - や:耶馬渓しのぐ吾妻峡


 古くから『関東の耶馬渓』と言われている吾妻峡。

 

大昔に火山から噴出した溶岩が長い年月をかけて浸食され、現在の渓谷になったと考えられています。新緑や紅葉など1年を通じて景観を楽しむ事ができる、群馬を代表する景勝地です。

 

 

さて今回は『吾妻』という地名について注目してみたいと思います。

この地名、漢字の意味をそのまま汲み取れば『自分の妻』ということになります。

 

 

またこの吾妻峡の近くにはキャベツで有名な嬬恋村がありますが、この嬬恋の『嬬』という漢字は吾妻の『妻』と同じく結婚している女性を指します。

何だかこの辺りは『妻』とか『恋』とか女性に関する文字の地名が多いのですが、この理由は何なのか、皆さんはご存知でしょうか?

 

この背景には非常に悲しい物語があるのです。

 

 

 

 

実はこれらの地名の基になっているのは、古代日本の伝説的英雄である『ヤマトタケルノミコト』。

4世紀頃に日本最初の統一国家である大和朝廷が作られましたが、その際それに従わない地方の部族を征伐してまわり、朝廷の力をより強固にした人物として知られています。

 

 

そのヤマトタケルノミコトには『弟橘姫(オトタチバナヒメ)』という奥さんがいて、征伐の際にはいつも同行していました。

しかし東日本の部族を征伐に行く時、船で今の神奈川県から房総半島へ渡ろうとしたのですが、突然の暴風雨が襲い、船を前に進めるどころか着岸もできない状況になってしまいます。

 

 

その時、妻のオトタチバナヒメは『男の戦に女がいるのを海の神様が怒ったに違いない』と考え、その怒りを鎮める為に自ら海へと身を投げ、暴風雨を鎮めたのです。

 

 

 

その後ヤマトタケルノミコトは無事に東国征伐を終えて帰路に就くのですが、その時に妻のことを思い出し、「ああ、我妻よ!」と泣き出してしまいます。

 

その泣き出した場所こそが現在の吾妻地方であったことからこの周辺を『吾妻』と言うようになり、また亡くなった妻に恋い焦がれた場所であったことから『嬬恋』になった訳です。 

 

 

その逸話にちなんで、毎年9月になると嬬恋村の日本愛妻家協会が『キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ』というイベントをやっていますよね。更に日本愛妻家協会は毎年1月31日を『愛妻の日』としています。

 

 

『妻を大切にする人が増えると、世界はもう少し豊かで平和になるかもしれない』が協会の理念。

普段奥様に向かって愛を叫ぶことがなくなった男性陣の皆様。今度の1月31日だけは奥様に愛を、そして日々の感謝を伝えてみてはいかがでしょうか?

 

ちなみに日本愛妻家協会は、元祖愛妻家としてヤマトタケルノミコトさんに名誉会長をお願いしているそうです。

 

 

 

202212月20日

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

 

 

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊