2022年5月24日放送 - く:草津よいとこ薬の温泉(いでゆ)


 兵庫県の有馬温泉、岐阜県の下呂温泉に並び日本三名泉の1つに挙げられている『草津温泉』。

高温で酸性の強い温泉水が出る事が特徴であり、五寸釘を温泉の中に付けておくと、なんと10日ほどで跡形もなく無くなってしまうのだそうです。

 

 

この酸性度だからこそ、様々な病に効く湯として古くから親しまれてきた訳ですが、この『く』の札はその名湯:草津温泉を詠んだ札です。

 

 

 

 

さて、その草津温泉と言えば、多くの方が頭の中に思い浮かべるのは湯畑の風景ではないでしょうか。

現在の湯畑は、1973年に『芸術は爆発だ!』のフレーズでお馴染みだった巨匠:岡本太郎画伯が、当時の草津町長から依頼されてデザインしました。

 

 

そしてここをぐるっと一周してみると、『将軍御汲上の湯枠』と書かれた石板があるのを見た事はないでしょうか?

 

 

またその石板あたりから湯畑を覗くと、確かに四角い木の枠が湯の中にあるのですが、これはその石板に書かれている通り、徳川第八代将軍である徳川吉宗がこの枠から出る湯を樽詰めにして江戸城へ運ばせたという場所なのです。

 

 

吉宗が将軍を務めたのは1716~1745年。当たり前のことですが、当時はAmazonが運んでくれる訳ではなく、トラックも貨物列車もありません。

人が一生懸命樽に詰めて、その樽を人間の足で江戸まで運んだのです。

 

 

何故、吉宗はそこまでして草津の湯に入りたかったのでしょうか?

そもそも吉宗は白浜温泉などがある紀州の出身であり、幼少時代から温泉に好んで入っていたからでは?という説もあるのですが、真意はよく分かっておりません。

 

 

しかし近年の研究で、どうやら初代将軍であった徳川家康も、草津の湯を江戸城へ運ばせて入浴していた事が明らかになったのだそうです。

 

1590年、豊臣秀吉の命令で関東八州を治めることになった家康ですが、有名だった草津の湯に入りたかったものの、当時草津は関東ではなく、治めていたのは家康とあまり関係の良くない真田家でした。

その為、真田家の領地に入ることができず、仕方なく樽詰めにしたものを運ばせて江戸城で入浴したのではと言われています。それがきっかけとなって、徳川の将軍が草津の湯を江戸城に運ばせて入浴する習慣ができた訳です。

 

 

ちなみに徳川吉宗は、草津だけでなく箱根や熱海からも江戸城まで湯を運ばせて入浴を楽しんでいました。特に熱海は海岸沿いにあることから船を使って江戸まで運ぶことができ、8年間でなんと3643個の樽を運ばせたという記録が残っています。

 

 

そう考えると、今私達が当たり前のように温泉に行って観光するのは、当時吉宗がしたくてたまらなかったことなのかもしれませんね。

 

2022年5月24

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

 

 

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊