2022年8月2日放送 - ち:力あわせる二百万


 上毛かるたの初版が発行されたのは1947年。

終戦から2年後のことになりますが、日本が初めて経験した敗戦の苦難を県民全員が力を合わせて乗り越えようという思いで作られたのが、この『ち』の札です。

 

 

最大の特徴は皆さんもご存知の通り、群馬の人口が増加すると共に読み札に書かれている数字も変わっていくという点。1947年の上毛かるた初版発行時は『力合わせる160万』でしたが、その後170万、180万、190万と人口が10万人増えるごとに改訂され、現在は『力合わせる200万』となっています。

 


その為、自分が子供の頃の『ち』の札は何万だったのかでその人の年齢がばれてしまうという性質があります。

皆さんの子供の頃は力あわせる何万だったのでしょうか?

 

 

僕が小学生だった頃は190万だったと記憶しているのですが、『170万』と答えた方は・・・実はちょっとレアな存在なのかもしれません。

というのは、上毛かるたが発行されて75年の歴史の中で、『170万』は197376年のたった4年間しか使用されていないからです。

 

 

それもそのはずで、当時は第二次ベビーブーム。日本全国で年間200万人以上の赤ちゃんが生まれており、県内の人口も飛躍的に伸びていた時代でした。

その為、1970年代初めの厚生省が発行する『厚生白書』には、『如何に人口増加を抑制するか』、『1世帯あたり子供は2人までにすべきだ』という今では考えられない議論が記載されているのです。

 

 

ちなみに上毛かるた制作前の時代に遡ると、日本の国勢調査が初めて実施されたのは今から約100年前の1920年。

当時の群馬県の人口は現在の約半分にあたる105万人。そして市町村別に見ると一番人口が多かったのは、もちろん県都前橋の62千人でした。

では、第2位だった市町村はどこだったのか、皆さんはご存知でしょうか?

 

 

高崎!と答える方が多いと思いますが、残念、不正解です。

正解は、『桐生』の37千人。実は当時のデータを見ると、桐生の人口は一時高崎に抜かれた事はあるものの、1955年まで県内第二の人口を誇っていました。

その後は鉄道や高速道路などの交通の発展により高崎が再び盛り返す訳ですが、当時は日本屈指の織物の街として多くの人口を抱えていたのです。

 

 

ということで今回は群馬県の人口のうんちくについてパラパラと語りましたが、現在上毛かるたの『ち』の札は『力合わせる二百万』。

しかし実際の人口は200万人もおらず、20227月現在で191万人。ご存知の通り、少子高齢化の影響で減少傾向にあります。

 

今後、読み札を190万に戻すのかどうかが注目されていますが、何はともあれ、数字は変わっても『力あわせる』の部分は今後も永久に変えず、みんなで多くの苦難を乗り越えていきたいですね。

 

 

 

 

2022年8月2

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

 

 

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊