2023年10月24日放送 - ひ:白衣観音慈悲の御手


高崎市のシンボルである『高崎白衣大観音』。

戦前に井上工業の社長をしていた井上保三郎(やすさぶろう)が私財を投じて建設したものであり、その目的は日露戦争で戦死した陸軍の慰霊供養と共に、高崎を観光都市として発展させたいという想いがあったからと言われています。

 

 

その為、1936年に観音像は無事完成したのですが、保三郎からすればこれは夢実現の序章に過ぎませんでした。

完成後すぐに観音山一帯の土地1万5千坪を買収し、そこに数千株の桜や桃などを移植して大公園の造成に着手します。更にはここに三重の塔の建設も計画しており、専門業者に対して設計図や見積の依頼もしていたのです。

 

 

 しかしそれから2年後、保三郎はせっかく買収した土地や観音像の全てを高崎市に寄付してしまいます。自分の余命を知っていたからこその行動なのかどうかは不明なのですが、実はその年の11月に急逝したのです。

 

 

 

 

 

 その為、公園の建設は中断され、1万5千坪の土地もしばらくの間そのままとなっていました。しかし、それから14年後の1952年、再びこの場所は日の目を見ることとなります。

 

この前の年にサンフランシスコ講和条約が調印されたことでGHQの日本占領が終了し、また高崎線も全線が電気化されたこと記念して、高崎市は保三郎から寄付された土地を活用して『新日本高崎こども博覧会』を開催したのです。

 

 

この博覧会会場にはメリーゴーランドや動物園、またアメリカ館や地球館など様々な施設が設けられ、親子連れを中心に約50万人が来場。予想を上回る大盛況で幕を閉じました。

 更にその後、高崎市は会場内の一部の建物や遊器具を利用して市営遊園地を作り、1962年には上信電鉄がその経営を引き継いで『高崎フェアリーランド』が開園。更に更に、1969年には場内に流れるプールを建設し、その愛称を市民から募集します。

 

その結果選ばれたのが、プールで遊ぶ子供たちをカッパに例え、"カッパ達のユートピア"という意味で名付けられた『カッパピア』です。

 

 

 この流れるプールは当時の子供たちに大人気となり、この年に年間62万人の来場者数を記録します。

そして当初は高崎フェアリーランドにあるプールが『カッパピア』だったのですが、これがのちに遊園地全体の名称となった訳です。

 

 

 ご存じの通り、そのカッパピアは2003年に閉園し、42年の歴史に幕を閉じます。その後は一時廃墟となっていましたが、現在は観音山公園として生まれ変わり、高崎市民の憩いの場となっています。

 

 

県の発表によると、2016年の高崎市の観光客数は約629万人。その後、新型コロナウィルスの影響で観光業界は大打撃を受けましたが、保三郎の夢は現在も多くの市民が受け継いでいます。

 

 

 

 202310月24

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

 

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊