2023年2月28日放送 - わ:和算の大家関孝和


 

 江戸時代、幕府に仕えて和算の研究を行った関孝和。

 

この『和算』とは飛鳥時代に中国から伝わった算術ですが、鎖国で海外との交流が無くなった後は国内で独自に発展していきました。

そしてその和算の歴史の中で、群を抜いてその発展に貢献したと言われているのが天才数学家:関孝和なのです。

 

 

しかし数学といえばピタゴラスやアルキメデス、ニュートンなど欧米の学者達が有名ですが、その欧米人との接点が全くなかった江戸時代の日本でなぜ天才的な数学家が誕生したのか、皆さんはご存知でしょうか?

 

そもそも江戸時代は、身分に関わらず計算の能力が必要とされる時代でした。武士達は藩の財政を担い。また農民達も納める年貢の量を自分で計算する必要があったのです。

 

そんな中、1627年に吉田光由(よしだみつよし)という方が書いた『塵劫記(じんこうき)』という本がベストセラーとなります。これにはそろばんの使用法を初め、土地の面積の求め方や商売の仕方など様々な場面での計算方法が詳しく書かれており、当時多くの人がこの本を読んで勉強したのです。

 

 

 

 

そして光由は1641年、その続編となる『新篇塵劫記(しんぺんじんこうき)』という本も出版するのですが、実はこれが江戸の世の人達の心に火をつけます。

なぜならこの本には、当時答えも解き方も分からない12問の超難問が載せられており、光由は世の中の数学好きに対して「腕に自信のある奴はこれを解いてみよ!」とけしかけたのです。

 

これが江戸時代の数学界で起こった『遺題継承(いだいけいしょう)』の始まり。

遺題継承とは、答えの分からない難問を本などに記載して後世の数学者に解決を求め、またそれを解いた数学者が更に新しい難題を作って後世の数学者に解かせるという一連の流れを指します。これにより、江戸時代の数学マニア達は自分のプライドをかけて難問に挑戦し、また新しい難問を産み出していったのです。

 

そして、それから約30年経った1670年。この年に沢口一之という数学者が『古今算法記(ここんさんぽうき)』という本に15題の難題を載せて発表します。もちろん以前の吉田光由の時代に比べて難易度はかなり増していたのですが、ある人物がその15問全ての問題をさらっと解き、『発微算法(はつびざんほう)』という書物に全問題の解法を載せて発表します。

 

 

 

 

 

その人こそが関孝和。もちろん発微算法はベストセラーとなり、これが天才:関孝和の名前を世に知らしめ、その後様々な研究結果を発表していくきっかけとなったのです。

 

もちろん彼の持ち合わせた才能もあると思いますが、『遺題継承』によって起こった江戸時代の数学ブームが1人の天才を生んだ訳です。

 

 

2023年2月28

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

  

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊