2023年6月13日放送 - こ:心の燈台 内村鑑三


 

 1861年に高崎藩士の長男として生まれた内村鑑三。

クラーク博士で有名な札幌農学校に入学し、そこで出会ったキリスト教の教えに深い感銘を受け、以後国内のキリスト教の布教活動に専念することになります。

また1908年には『代表的日本人』という本を英語で出版。日本人の精神や文化を世界に紹介した名著として今でも広く知られています。

 

さて現在、高崎市役所から少し南にある頼政(よりまさ)神社という神社に、鑑三が書いた『上州人』という漢詩の石碑が建てられています。皆さんはご覧になったことあるでしょうか?

 

 

 

これは鑑三が亡くなる3カ月前、親友である牧師:住谷天来(すみやてんらい)さんがお見舞いに来た時に鑑三自身が書いたと言われているのですが、これがとても興味深いのです。

 

漢詩を直訳すると、

 

“上州人は無智無才であり、意志が強く、言葉を飾らない為だまされやすい。ただひたすら正直に全ての人に接し、まごころを尽くして神による恩恵を待っている。”

 

という内容。

 

当時なぜこれを書き残したのかは明らかになっておらず、また一部分を切り取れば上州人への悪口のようにも聴こえます。

 

実は内村鑑三の生涯を振り返ってみると、決して順風満帆ではなく最後まで苦難の連続でした。

 

1884年、鑑三はキリスト教を深く学ぶ為にアメリカへ留学するのですが、そこで見た光景に愕然とします。

まず渡米早々、友人がスリに財布を盗まれ、また人種差別が横行していて自分自身もたびたび”ジャップ”とののしられ、更にはチップを払わなければ大声で怒鳴られ・・・

と、キリスト教国家として当時世界をリードしていたアメリカはどれほど素晴らしい国なのかと思い描いて渡米したのですが、現実のアメリカは鑑三のイメージとは程遠いものだったのです。

 

その為それ以降は、まじめな道徳の精神である『武士道』の心を持つ日本こそ、真のキリスト教が根づく国だと確信し、誰に批難されようとその考えを死ぬまで貫くわけです。

 

更に日露戦争の時には、国民全体が戦争に沸き立っている中、一貫して戦争廃止を訴え続けました。その結果、当時勤めていた新聞社を退職せざるを得なくなってしまうのですが、その後もその考えが変わることはありませんでした。

 

そして、鑑三は別の場で『ああ、我もまた上州人である』と述べています。

 

要するに先ほどの漢詩は、誰に何と言われようと自分の考えを貫き、言葉を飾らずに自分の想いを訴え続けた鑑三自身のことを書いたものであり、またこれは私の推測ですが、後世の上州人への指南ではないかと思う訳です。

いかがでしょうか。皆さんの周りにもこんな上州人、いらっしゃらないでしょうか?

 

 

 

2023年6月13日

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

 

 

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊