2023年6月27日放送 - し:しのぶ毛の国 二子塚


4世紀から6世紀ごろにかけて現在の群馬県全域と栃木県南部に存在した『毛野国(けのくに)』。

当時は東日本最大の国として栄えており、権力を持った多くの豪族がこの地に住んでいました。

 

その証拠となるのが群馬県内に1万以上存在すると言われる古墳。

特に当時の権力の象徴ともいえる大型の前方後円墳は群馬県内に100以上あると言われており、太田の天神山古墳や高崎の八幡塚古墳がその代表例となっています。

 

 

また記憶に新しいのが、2020年に高崎の綿貫観音山古墳から発掘された出土品が国宝指定されたこと。

特に金属で作られた瓶や器は、当時日本よりはるかに発展していた中国の貴族が持っていたものと類似しており、このことから当時の毛野国の豪族たちは独自に中国大陸と交流していたとも考えられているのです。

 

 

しかし現在でもこの毛野国についてはまだまだ謎の部分が多く、そもそもなぜこの地域に有力な豪族がいたのかすらはっきり分かっていません。

もちろん様々な仮説のもと研究が続けられている訳ですが、それを考える上で1つポイントとなるものが『し』の絵札に描かれています。それが『馬の埴輪』。

 

 

 

 

 

群馬県内ではこの馬型の埴輪が350個ほど出土しており、これは全国第1位の数となっています。

それだけ当時の豪族の生活は馬と密着していたと言える訳ですが、当時馬は人の移動や物資の輸送、はたまた農業や土木作業の動力源として社会に欠かせないものでした。

その為、育てた馬を地域の産業に利用したり、また大和朝廷に献上したりしたことで権力が高まっていったのではと考えられる訳です。

 

 

ただここで疑問になるのは、なぜ毛野国で馬の生産が始まったのか?ということ。

当時馬の生産は中国大陸や朝鮮半島の先進技術であり、また先ほど話した通り、中国のモノと類似した出土品が発掘されていることから、大陸からの渡来人がこの毛野国に馬の生産技術を伝えたと推測できますが、わざわざこんな内陸まで来なくても適した土地は他にもあるでしょうし、大和朝廷に馬を献上するのならば近畿地方で生産した方が効率的なのでは?と思う訳です。

 

 

要するに、まだまだ毛野国についてはミステリアスな部分がたくさん存在します。

ただはっきりしているのは、今でこそ群馬は魅力度が低いとか、存在感が薄いなどと言われるものの、かつての群馬は他の追随を許さない東日本最大のグローバル先進国だったということです。

 

 

先ほどお話しした綿貫観音山古墳の出土品は現在、群馬の森にある県立歴史博物館で常設展示されています。ご興味のある方は是非行ってみて下さい。

 

 

2023年6月27

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

 

 

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊