2023年8月22日放送 - て:天下の義人 茂左衛門


江戸時代中期、沼田藩に住んでいた農民『杉木茂左衛門』。

当時この沼田藩を治めていた真田信利(のぶとし)の傍若無人な政治を幕府に訴える為、1681年に1人江戸へと向かって将軍:徳川綱吉に直訴文を届け、村人たちを救ったことで知られる人物です。

 

しかし当時、一介の農民が直接幕府に直訴をするのは、正しい事を言っていようがいまいが許されないこと。1686年、幕府への密告の罪として茂左衛門は妻子と共に死刑となってしまいます。

その為、村人たちは茂左衛門の供養の為に地蔵を作り、千日間毎日感謝の気持ちで祈り続けました。この時の地蔵が祀られているのが『て』の絵札に描かれている月夜野の『茂左衛門地蔵尊千日堂』です。

 

 

 

真田信利

 

 

さて、以前このコーナーでは茂左衛門の功績を詳しく紹介しましたが、今回はこのお話の悪役である沼田藩主:真田信利にスポットを当ててみたいと思います。

当時信利がどんな悪政をして農民達を苦しめたのか、そしてなぜそんなことをしたのか、皆さんはご存じでしょうか?

 

 

当時、真田の総本家は現在の長野県北部にある松代(まつしろ)藩にあり、信利の叔父にあたる真田信政が治めていました。

その為、信利が治めていた沼田藩はその分領であった訳です。

 

しかし信政が亡くなるとその息子である幸道が家督を継いで松代藩の藩主となるのですが、これに信利は大激怒。

当時信利は23歳だったのに対して、幸道はまだ1歳。真田宗家を継ぐのは自分だと主張し幕府に訴えたのです。

これには真田家の中でかなり揉めたようなのですが、最終的に幕府は信利の祖父である信之と掛け合ったのち、幸道の相続を認めてしまいます。なぜなら信之にとって幸道は正室の血を引いているのに対して、信利は側室の血を継いでいたからです。

 

真田 幸道

 

しかし、気持ちの収まらない信利はあらゆる手で幸道に対抗します。

幕府には実際の倍以上の石高を報告したり、沼田城に大天守閣を建てたり、また参勤交代の際に住む江戸の屋敷も豪華に改装したり。

松代藩よりも自分がこれまで治めていた沼田藩の方がどれだけすごいかを猛アピールしたのです。

 

 

ただ、そのしわ寄せが行くのは当然沼田藩の農民たち。猛アピールする為に彼らから法外な年貢を徴収したことで、沼田藩内で多くの餓死者が出てしまうという悲惨な状況になってしまった訳です。

 

 

最終的に信利は、茂左衛門が幕府に直訴したことで領地を没収されてしまいます。

もちろん農民たちの事を顧みず、勝手気ままな政治を行った信利が一番悪いのですが、血筋が理由でわずか1歳の人間に家督を奪われてしまったその気持ち。ちょっと同情してしまうのは私だけでしょうか?

 

 

2023年8月22日

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

 

 

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊