2024年4月16日放送 - う:碓氷峠の関所跡


東海道の箱根と共に、江戸時代には交通の要所として有名だった碓氷峠。

直線距離約 10kmの間に標高差500 m以上という急勾配の峠を人々は行き来していた訳ですが、明治になるとここに鉄道を通す計画が持ち上がり、『アプト式』という当時の最新の鉄道技術が採用されます。

これは電車とレールを歯車でかみ合わせながら坂を登っていく方式。当時としては大変珍しい方法だったのですが、峠を越えるだけで75分という今では考えられない程の長い時間がかかったのです。

 

 

しかしこのゆっくりと峠を上ることがきっかけとなって、日本人の誰もが知っているある歌が碓氷峠で生まれた事を皆さんはご存じでしょうか?

 

 

それは、”秋の夕日に 照る山紅葉~”で有名な童謡『紅葉』。

実はこの歌の舞台は碓氷峠なのです。 

 

 

この詞を書いたのは明治から昭和にかけて活躍した長野県出身の作詞家:高野辰之。

高野は『紅葉』の他にも”うさぎ追いしかの山~”の『故郷』や、”春が来た 春が来た どこに来た~”の『春が来た』など多くの童謡を世に送り出したことで知られています。

 

 

 

当時文部省や東京音楽学校の教授をしていた高野は、実家のある長野県中野市と行き来する為に頻繁にアプト式の列車に乗って碓氷峠を越えていました。

その際、横川から軽井沢へと登って行く途中に熊ノ平駅という駅があったのですが、ここは碓氷峠の急勾配の中で数少ない平坦な場所。単線であった信越線は、この熊ノ平駅で信州方面から下りてくる列車を待つ必要があったのです。

 

 

そしてその待っている時間に高野が目にしたのが、駅周辺に広がる碓氷峠の壮大な紅葉の風景。この美しい景色に心を惹かれ、この詞を書いたと言われているのです。

 

 

現在では新幹線が開通したことで、安中榛名~軽井沢駅間の所要時間は僅か10分。またそのほとんどがトンネルである為に景色を楽しむことはできません。

当時はゆっくり登って行く単線の列車だったからこそ、この名曲が生まれた訳です。

 

 

この熊ノ平駅は1966年に駅としての役目を終え、また1997年には新幹線開通に伴い横川~軽井沢間は廃線となりました。現在、横川駅から旧熊ノ平駅までの約6kmの区間には『アプトの道』という遊歩道が整備されています。

また2018年から安中市観光機構が『廃線ウォーク』というイベントを定期的に開催しています。普段は立ち入り禁止となっている横川~軽井沢間の廃線跡をガイドと共に歩き、当時の鉄道技術者達の血と汗の結晶を間近で感じることができるのです。

 

 

紅葉の季節はもちろん、この新緑の季節の碓氷峠も格別です。まだゴールデンウィークの予定を立てていない方々、是非廃線跡と碓氷峠の自然を楽しんでみてはいかがでしょうか?

 

2024年4月16日

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

 

 

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊