2024年4月9日放送 - い:伊香保温泉 日本の名湯


 

昔から良質な温泉として多くの人に親しまれてきた、上州三名湯の1つである伊香保温泉。

日本最古の歌集である万葉集には伊香保について詠んだ歌が9首も掲載されており、また明治から昭和の初めにかけては与謝野晶子や島崎藤村、徳冨蘆花などの著名人が頻繁に訪れていました。

また伊香保の石段街はもちろん、榛名湖や榛名神社などの観光スポットにも近いことから、年間100万人以上の温泉客が訪れています。

 

 

さてその石段街から少し脇へ外れた所に、趣深い二階建ての木造の建物があります。

その名は『ハワイ王国公使別邸』。伊香保にハワイ?と思うかもしれませんが、皆さんはこの建物の存在をご存じでしょうか?

 

 

 

これは今から130年ほど前に建てられた別荘であり、家主は当時まだ独立国であったハワイ王国の日本駐在公使:ロバート・アーウィン。

彼は生涯のほとんどを日本で過ごしたのですが、蒸し暑い夏を快適に過ごす為、当時日本の内務大臣をしていた井上馨から伊香保を紹介してもらい、ここに別荘を建てたのです。

 

 

明治時代中期、当時ハワイ王国はさとうきびの栽培に力を入れる為、多くの労働力を必要としていました。

そこで目を付けたのが『移民』。要するに日本からの移民をたくさん受け入れ、さとうきびの生産を促進させ、ハワイが世界に誇る一大産業に育てようと考えたのです。

 

 

その際、日本政府と移民の交渉を行う為に公使として任命されたのがアーウィン。

交渉の結果、日本とハワイ王国との間で移民協約が交わされ、1885年から94年までの10年間に3万人弱が労働者としてハワイへと移住し、さとうきび農場で働いたのです。

 

 

またアーウィンは、国際結婚のパイオニアでもあります。

彼が24歳の時、横浜で将来の妻となる”いき”と運命的な出会いをします。しかし当時はアメリカ人と日本人が結婚するという事例がなく、2年かけて両家から了承を得たものの、日本政府が2人の正式な結婚を認めませんでした。

やっと許可が出たのはそれから12年後。1882年9月に晴れて2人は夫婦となり、これが日本の国際結婚第一号となった訳です。

 

 

しかし1898年にハワイ王国が滅亡し、アメリカに合併されます。それと同時に駐在公使も退任となるのですが、それまでの17年間アーウィンは日本人のハワイ移民に全力で貢献し、その結果現在でも彼らの子孫である日系人がハワイの人口の多数を占め、経済を支えているのです。

 

 

アーウィンが伊香保で日本の夏を過ごしたことが縁となり、伊香保温泉がある渋川市は現在、ハワイと姉妹都市を提携しています。更に毎年夏にはハワイアンフェスティバルが温泉街で開催され、ハワイアンとの親睦を深めています。

 

ロバート・アーウィン
出典) アロハプログラム ハワイ州観光局

2024年4月9日

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

 

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊