2025年12月2日放送 - む:昔を語る多胡の古碑


 高崎市の吉井町に保存されている『多胡碑』。

今から約1300年前に作られたこの石碑は、当時の人々のくらしや文化を知る上での貴重な史料として、ユネスコの『世界の記憶』に”上野三碑”の1つとして登録されています。

 

この上野三碑とは、多胡碑の他に山上碑と金井沢碑を加えた3つ。

どれも飛鳥時代から奈良時代の頃に作られた最古の石碑であることに加え、これらが半径5kmの範囲内に集中して建っているということも注目すべきポイントです。

 

 

さてこの多胡碑、文面としては80文字の漢字によって『この一帯を多胡郡とし、羊という人物に統治を任せる』ということが刻まれています。

当時の統治体制や生活について知ることのできる大変貴重な資料なのですが、今回注目したいのはこの文字の”書体”。

 

 

 

 

実はこの書体、書道界から大変高い評価を得ているのです。

確かに改めて見てみると、山上碑や金井沢碑と比べて多胡碑には少し丸みのあるキリッとした文字が刻まれているのが分かります。

 

 

この多胡碑の文字に最初に注目したのが、江戸時代に下仁田で暮らしていた書家の『高橋道斎(どうさい)』。

 

当時の記録によると、1754年に道斎は沢田東江(とうこう)という江戸の書家を引き連れて多胡碑を見に行き、碑の拓本を取ったことが明らかになっています。

そしてこれを全国各地の書家や関係者たちに配ったことで多胡碑の存在が広まり、たくさんの方々が訪れるようになったのです。

 

 

そしてその字体の素晴らしさは国内だけでなく、1764年には朝鮮半島や中国大陸にも伝えられました。

明治時代に入った1880年には当時の清の有名な学者であった楊守敬(ようしゅけい)もその価値を認め、彼が書いた『楷法溯源(かいほうそげん)』という世の中の優れた文字を紹介した書物には、多胡碑に刻まれている39の文字が掲載されているのです。

 

 

ただ専門家曰く、江戸時代に取られた拓本と現在の碑の文字をよく見比べてみると、形の違っている字がいくつか存在します。

これは碑に使われている石が時代の経過によって風化している影響もあるのですが、道斎以降に碑の拓本を取った人が、はっきりと紙に写す為に人為的に文字の溝を深くしたり、線を少し足したりといった追刻(ついこく)の可能性があるのだそうです。

 

もちろんこれは悪意のある改ざんという訳ではなく、碑文を後世に残す為の『修復』行為とも考えられます。

ただ専門家の中では古い拓本を詳細に分析することによって、建立された当時の本来の字形を推定する研究も行われているようです。

 

2025年12月2

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

  

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊