2025年12月9日放送 - め:銘仙織出す伊勢崎市


 古くから織物の一大産地として栄えてきた伊勢崎市。

 

江戸時代、市内の養蚕農家では市場に出せなかった繭、いわゆるくず糸を利用して『太織(ふとり)』という質素な織物を作り、普段着として着ていました。

しかしそれが後に伊勢崎の伝統工芸である『伊勢崎銘仙』に発展していきます。

 

他にも銘仙の産地はいくつもあったのですが、伊勢崎の生産量は群を抜いており、1930年には国内の銘仙生産量の40%が伊勢崎産だったと言われています。

 

 

さてその”くず糸”ですが、実は明治時代に入ってから衝撃の事実が判明します。

1871年、当時政府の中心人物であった岩倉具視や大久保利通らが使節団としてイギリスを訪問した際、現地の人たちが機械を使ってくず糸から綺麗な糸を作っていることを知ります。

更に材料となっているこのくず糸、実は日本や中国からタダ同然で輸入した物であることが明らかとなり、一同は驚愕するのです。

 

 

このくず糸というのは繭から生糸を作る際にどうしても発生してしまうものなのですが、当時の日本は、これらは商品価値の無い糸として海外に二束三文で売っていました。

しかし、これが質の高い糸になることを知った使節団一行は日本に帰国後、ただちに同じ技術を日本にも導入しようと強く決意したのです。

 

 

その結果、1877年に建設したのが、現在の高崎市の新町にある『官営屑糸紡績所』。

これは富岡製糸場が操業を開始してから5年後のことなのですが、ここでは製糸場から出たくず糸を回収して新町の紡績所へと運び、『絹紡糸(けんぼうし)』という見た目はほぼ生糸と変わらない糸を作ったのです。

 

 

そして富岡製糸場で生産された生糸は外貨を稼ぐために海外へと輸出されていたのに対し、絹紡糸は主に伊勢崎を初めとした銘仙の生産に使用され、日本の女性のファッションに大きな影響を与えた訳です。

 

 

しかし戦後、この紡績所の生産量も繊維産業が衰退していくと共に減少し、1975年には生産停止。その後はカネボウ食品の工場として転用されます。

 

そしておそらくほとんどの県民が知らないと思いますが、今もなお明治初期の建設当時そのままの状態で残っています。しかしその敷地は現在クラシエフーズ株式会社が所有していて公開はされていない為、一般の方々はお目にかかることができないのです。

 

とはいえ2015年にはこの敷地にある5棟の建物が国の重要文化財に指定されています。

あくまでこれは素人考えですが、この屑糸紡績所も既に世界遺産登録されている『富岡製糸場と絹産業遺産群』の構成施設として登録されてい良いのではないかと思うのですがいかがでしょうか?

 

 

2025年12月9日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

 

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊