草津温泉、四万温泉と並んで上州三名湯の1つに数えられている伊香保温泉。
1573年に起こった長篠の戦いで織田信長に敗れた武田勝頼は、兵士が負った傷を癒す為、家臣であった真田昌幸に温泉を利用した療養所を作るよう命じます。
それが現在の伊香保温泉の原型であり、石段で温泉街を往来できるようにしたのも真田昌幸のアイデアだったと言われています。
また明治になると与謝野晶子や竹久夢二、土屋文明などの著名人からも愛され、現在では年間約100万人の観光客が訪れる県内屈指の温泉リゾートとなっているのです。
そして同じく明治時代、この伊香保温泉には皇室の方々が避暑の為に訪れる『御用邸』が存在しました。
当時、伊香保は健康回復に効果のある温泉と高く評価され、また標高約700メートルの涼しい気候や、鉄道網の整備が進んで東京からのアクセスが容易になったこともあり、1893年に『伊香保御用邸』が建設されたのです。
以降、夏になると多くの皇族が伊香保を訪れるようになり、1911年には当時10歳であった昭和天皇も避暑の為に滞在されています。
そしてこの御用邸には、皇室の方々が伊香保で安全に夏を過ごす為に無くてはならない、群馬らしいあるモノが設置されました。今となっては当たり前であるものの、当時は東京などの大都市以外で設置されるのは大変珍しかったモノなのですが、それは何か、皆さんはご存じでしょうか?
正解は・・・『避雷針』。
そもそも”伊香保”という地名の由来は諸説あるものの、雷が発生する山と言う意味である『雷の峰(いかつちのほ)』だとされており、言うまでもなく群馬の夏は雷が毎日のように鳴り響きます。
ある日御用邸の近くの旅館に落雷があり、被害を恐れた当時の宮内庁担当者は、皇室が滞在する期間だけでも避雷針を取り付けられないかと内務省に要請します。
そしてこれが全国的に避雷針を普及させるきっかけとなったと言われているのです。
しかし1945年、終戦に伴って皇室の財産整理をする為に伊香保御用邸は廃止となります。その後建物だけは残っていたのですが、1952年に火災によって焼失してしまったのです。
現在その跡地には群馬大学の伊香保研修所が建っており、敷地内には御用邸の記念碑と、当時皇族が玄関で履物を脱ぐ際に使用された沓脱石(くつぬぎいし)だけが残されています。
跡地の後方に広がっているのは雄大な榛名山の大自然。当時の皇室の方々も、夏の榛名山へハイキングに行ったり、バードウォッチングをしたりして自然を満喫していたのかもしれません。
2025年4月8日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊