2025年5月20日放送 - く:草津よいとこ薬の温泉(いでゆ)


 

 伊香保温泉、四万温泉と共に上州三名湯の1つに数えられている草津温泉。

 

昔から『恋の病以外ならどんな病気でも治る』と言われて多くの湯治客に親しまれており、江戸時代に発行された日本最古の温泉番付では既に”上州草津の湯”として東の最高位にランキングされていました。

同じく西の最高位であった有馬温泉と共に現在も日本屈指の温泉街として知られており、昨年(2024年度)は初の年間400万人超えの観光客数を記録しています。

 

 

そのため当然のことながら草津温泉を知らない群馬県民はほぼいないと思っていますが、今回取り上げたいのは、『く』の絵札に描かれている灯籠。

 

草津の湯畑の中に建っているので実物をご覧になったことのある方も多いと思いますし、またかるたの絵札には昔から採用されていますので見た事の無い方はいないはずですが、そもそもあの灯籠は一体何なのか、皆さんはご存じでしょうか?

 

 

 

あの灯籠の名前は『湯滝の灯籠』。

この歴史は古く、先ほどの温泉番付が制作されたのと同時期にあたる1830年に、伊勢太々講(いせだいだいこう)の旅の途中で草津温泉に訪れた人々によって寄進されたと言われています。

 

 

江戸時代の一般庶民にとって伊勢神宮への参拝、いわゆる『お伊勢参り』は一生に一度は行ってみたい憧れだった訳ですが、そこで各地域や村では住民達が『講』というグループを作って共同で積立金を出し合い、グループの中から代表者を選出して定期的に伊勢へ派遣するという風習が生まれました。

 

これが『伊勢太々講』であり、その方々が草津温泉を訪れた際に石灯籠を寄進し、湯畑源泉のすぐ脇にあった『不動堂』という不動明王を祀ったお堂の常夜灯として設置されたのです。

ただその不動堂は既に無くなってしまい、灯籠だけがぽつりと残される形となりました。

 

 

しかし大正時代に入って間もない1916年、川端龍子(かわばたりゅうし)という日本画家がこの灯籠を題材にした『霊泉由来』という日本画を発表。

これがこの年の日本美術院展で樗牛賞(ちょぎゅうしょう)という賞を受賞したことで、画家としての彼の名前と共に、この灯籠も世間に広く知られるようになった訳です。

 

そんな経緯もあり、現在では湯畑とこの灯籠の風景が草津温泉のシンボルとなっています。

そのため草津町はこの湯滝の灯籠を町指定文化財に定めて保護しており、また町の観光協会もライトアップなどの演出を行って観光客の目を楽しませているのです。

 

 

この灯籠ができてもうすぐ200年。現在も湯滝の灯籠は、湯畑の真ん中で多くの観光客を見守っています。

 

2025年5月20日

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

 

 

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊