国の名勝および天然記念物に指定されている藤岡市鬼石町の三波石峡と桜山公園の冬桜。
ここで採掘される三波石は庭石として高価格で取引された事から、今でも鬼石町は造園業者の街として賑わっています。
また桜山公園も時期になると7000本の冬桜が咲き誇り、多くの観光客が訪れているのです。
さてこの桜山公園の冬桜ですが、そもそも発端となったのは1904年に始まった日露戦争。
当時、この桜山周辺の村長をしていた飯塚志賀(いいづかしが)という人物が、その日露戦争の勝利を記念して村民と一緒に桜を植樹しました。
当時その桜はソメイヨシノだと思って植えたようなのですが、その一部が偶然にも冬桜であり、寒い時期に花を咲かせて地元の方々を驚かせたのです。
以降この山は冬桜の咲く山として知れ渡って行くのですが、今から約50年前、この冬桜が一度全滅しそうになったことを皆さんはご存じでしょうか?
1973年3月24日。この日、桜山の西側で火災が発生します。そしてその火は7時間にもわたり燃え続けて山頂部にも延焼。その結果、当時桜山に植えられていたほぼ全ての冬桜の木が焼失してしまったのです。
一夜にして焼け野原となってしまった桜山ですが、この時救世主となったのが冬桜の研究をしていた新井民志(ひとし)さん。
新井さんは1954年から桜山の冬桜の育成について研究を行っており、火災の起こった当時、既に約900本もの苗木を所有していました。その為、鎮火した後すぐにその苗木を植樹して桜山を復元させたのです。
また、もちろんこの植樹は新井さん1人で行った訳ではなく、三波川桜山保存会の皆さんの手で行われました。そしてその保存会の会長をしていたのが、日露戦争後に桜を植えた飯塚志賀村長の孫である飯塚馨さん。
このように桜山の冬桜は、地元の方々が必死になって100年以上も守り抜いてきたのです。
ちなみに新井さんはこの桜山の冬桜の苗から特に優れたものを選抜し、1980年に品種登録しています。
その品種名は『コハルビ(小春日)』。俳句で小春日は冬の季語であり、春のように暖かく穏やかな日のことを指します。
まさに寒い冬に花を咲かせる桜山の冬桜にピッタリの名前なのです。
ところがその冬桜も徐々に枯れてきているのが問題となっています。
山頂部分にあった冬桜は、2012年の調査では407本存在していたのですが、2023年の調査では162本にまで減少。その為、その回復を試みる調査や処置が取られているのですが、原因がはっきりしていないようです。
現在藤岡市では国と県の支援も受けて、植物学の大学教授や樹木医の方々が一丸となって、衰退の究明と樹勢回復に取り組んでいます。
2025年6月24日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊