沼田市の片品渓谷にある『吹割(ふきわれ)の滝』。
その名の通り、岩の軟らかい部分を片品川の流れが徐々に侵食して割れ目のような形が生じ、あたかも巨大な岩が吹き割れたように見えるところからその名が付けられました。
日本全国には様々な滝がありますが、このような形状は非常に珍しく、昭和11年に『天然記念物および名勝』に指定されています。
また正式名称は『”ふきわれ”の滝』なのですが、地元の方々は『ふきわり』と呼ぶことが多いようです。その為、かるたの詠みも当初は『”ふきわり”の滝』だったのですが、2000年頃に発行された上毛かるたから『ふきわり』の詠みを『ふきわれ』に変更しています。
さて話は変わりますが、群馬県内には多くの絹産業遺産があり、2014年には富岡製糸場を中心とした4つの構成資産が世界遺産に登録されました。
しかし、これら以外にも群馬の絹産業を支えた建物が県内には残されており、その代表格と言っても良いモノがこの吹割の滝から少し離れた片品村の中にあります。
それは、『永井流養蚕伝習所実習棟』。皆さんはこの施設をご存じでしょうか?
この建物は、永井紺周郎(こんしゅうろう)が発案した『永井流養蚕術』を多くの農家に学ばせるために建てた施設。
紺周郎は1831年に片品村の養蚕農家で生まれました。当時の群馬県内は既に養蚕業が盛んだったのですが、一方で蚕病(さんびょう)が流行していて繭の不作に悩む農家もあちこちにありました。
その時紺周郎の蚕室の近くで偶然にも火を焚いていたところ、蚕病が全く発生しないことに気付きます。
これにヒントを得た紺周郎は蚕を煙でいぶすことで病気を防ぎ、質の良い繭を育てる『いぶし飼い』という飼育方法を考案したのです。
そしてこの方法を多くの農家に広める為に作ったのが、先ほど紹介した『永井流養蚕伝習所実習棟』。
もちろん紺周郎はここで指導を行うはず・・・だったのですが、その設立の認可が下りる直前の1887年に57歳でこの世を去ってしまいます。
紺周郎の夢は道半ばにして終わってしまったのですが、そこで彼の意志を継いだのが妻の『永井いと』。
いとは夫が亡くなった1年後の1888年、自宅に実習所を建設。そして自らが教壇に立ち、その後1500人もの人達にその技術を教えたと言われています。
まさに夫婦二人三脚で確立した永井流養蚕術ですが、その妻いとも1904年に68歳でこの世を去ります。
2人が自宅に作った実習棟は現在日本遺産に登録されており、またその建物の近くで、2人は同じお墓の下で眠っています。
2025年7月29日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊