流域面積日本一、そして国内2番目の長さを誇る利根川。
首都圏への水の供給源としても重要な役割を果たしており、農業・工業用水としてはもちろん、約2700万人の飲料水としても利用されています。
また、まだクルマなどの陸上交通が発達していなかった時代には物資の運搬にも利用されており、江戸時代には年貢を江戸に運ぶメインルートとしても使われていました。
一方、この利根川は『日本三大暴れ川』の1つとしても知られており、昔から大雨が降るたびに水害を発生させ、周辺に住む人々を苦しめてきたのです。
そんな利根川ですが、その水源となるのは群馬と新潟の県境にある大水上山(おおみなかみやま)。
標高1,831mの山頂近くに端を発し、支流となる川の水を集めながら大河になっていくのですが、実はこの利根川の水源がどこなのかはずっと謎に包まれていた事を皆さんはご存じでしょうか?
利根川の水源の探索が初めて行われたのは、日清戦争の真っただ中であった明治27年のこと。
当時の探索隊はみなかみの村長や沼田の警察署長、また尋常高等小学校の校長先生などで結成され、それなりの登山の装備で山奥へと入り調査を行いました。しかし食料の計算ミスや日数不足により水源を見つけることはできなかったのです。
その後第2回水源探検が実施されたのは大正15年。
この時、調査によって水源は大水上山にあると確認できたのですが、この時も山の中のどこにあるのかまで解明することはできませんでした。
そして戦争終結から9年が経った昭和29年、第3回の利根川水源調査が実施され、調査団はようやく大水上山の山頂付近にある雪渓が水源であることを突き止めます。
最初の探索隊が調査を開始してから60年目で突き止めた水源。
途轍もない年月がかかった訳ですが、それもそのはず。その水源にたどり着くには道なき道をかき分けて、いくつもの滝を登らなければならず、更に道中にはカモシカも避けて通るといわれるほど険しくて危険な箇所がたくさんあったのです。
山に慣れている人ですら命がけで登らなければならない場所に利根川の水源が存在していた訳です。
その大水上山の水源には現在、『利根川水源』という碑が建立されています。
そして今では新潟の南魚沼市から登山道が整備されているようで、昔に比べて水源にたどり着きやすくなっています。
ただもちろん私自身は登ったことがなく、インターネットで調べてみると素人にとっては結構過酷なルートのようです。
体力と登山のスキルに自信のある方、是非利根川の最初の一滴が流れる場所へとチャレンジしてみてはいかがでしょうか?
2025年8月26日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊