2025年8月5日放送 - ち:力あわせる百九十万


群馬県の人口が詠みになっている”ち”の札。

 

最大の特徴は、群馬の人口増加と共に読み札の数字も変わっていったという点。

1947年の上毛かるた初版発行時は『力合わせる160万』という読みでしたが、その後170万、180万、190万、200万と人口が10万人増えるごとに改訂されてきました。

その為、自分が小さい頃に”ち“の詠み札が何万だったかによって、だいたいの年代がバレるという”県民あるある”がある訳です。

 

 

しかし西暦2000年に202万人でピークを迎えた後は徐々に減少し、昨年1月には30年ぶりに『力合わせる190万』へと戻りました。長い上毛かるたの歴史の中でこの数字が減るのは初めてのこと、大きな話題になったのは記憶に新しいと思います。

 

 

ただ群馬県の人口統計を見てみると、上毛かるた初版発行以降で人口が減少したのは、これが初めてではありません。

国勢調査は5年に1回行われていますが、1955年の調査結果によると当時の県内人口は161万人。しかしその5年後の1960年の調査結果は157万人と、この5年間で約4万人減少したのです。

戦後から日本の人口はうなぎのぼりだったのですが、この時なぜ群馬の人口が減ったのか、皆さんはご存じでしょうか?

 

 

正解は、東京への大量な人口流出。

当時の日本は高度成長期を迎えて好景気が連続し、東京などの三大都市圏で労働力需要が爆発的に増加しました。

その結果、地方から都市部への人口移動が急増。そして群馬県も例外ではなく、この全国的な流れの中で多くの若い労働者が県外へと流出してしまったのです。全国的に見ると昭和30年~35年の5年間で26の県の人口が減少しています。

 

 

しかしその後、県の人口は再び増加へと転じます。その理由は、県内でも工業化が進んだことにより多くの労働力が必要になった為です。

 

 

例えばこの頃稼働を開始したのが、富士重工の群馬製作所。

1958年に『スバル360』が爆発的にヒットした富士重工は、この2年後に太田に製作所を設立します。

またそれ以降県内に他の拠点も建設され、現在では国内有数の自動車生産拠点となっています。

 

 

またそれ以降も多くの工業団地も整備され、更にはハーゲンダッツやケロッグなどグローバルに展開する食品メーカーも県内に工場を建設。

2020年現在、工場の立地件数は47都道府県中第4位、製造品出荷額は約9兆円と全国的にも上位の生産規模を誇っているのです。

 

 

とはいえ現在も県の人口は減少中なのですが、近年はテレワークの普及や自然豊かな環境への関心が高まっていることなどから、県外からの移住者も増えつつあります。

難しいかもしれませんが、再び200万になってくれないかな?と思うばかりです。

 

 

 

2025年8月5日

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

 

 

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊