1872年に開業した『富岡製糸場』。
明治以降の日本の絹産業発展に大きく貢献した製糸場ですが、現在も開業当時の建物がそのままの状態で残っており、2014年には『富岡製糸場と絹産業遺産群』の構成資産として世界遺産に登録されました。
現在、年間約40万人の観光客が来場しています。
さてこの富岡製糸場ですが、建物の特徴として真っ先に思い浮かぶのがレトロな佇まいの『レンガ』造り。
これは当時、横須賀製鉄所の建設に携わったフランス人のオーギュスト・バスティアンが図面を描き、それを基に日本人の大工や職人の手によって建設されました。
木で骨組みを作ってレンガで壁を積み上げる『木骨レンガ造り』という西洋の建築方法で建てられており、またその積み方は、同じ段にレンガの長い面と短い面を交互に積む『フランス積み』という方法が採用されています。
写真提供:富岡市
しかしこの時の日本は長い長い鎖国が終わって間もない頃。当然、洋式の建物をどうやって作るのかなんて職人たちは把握しておりません。
そしてそもそも、建設に一番必要な材料であるレンガすらどうやって作るのかを認識しておらず、そんな中、117万丁ものレンガを確保しなければならなかったのです。
その為、通常ならば外国で作ったレンガを輸入するなんて事を考えるかもしれませんが、当時の船と陸路で運ぶとなると莫大なお金と時間が必要です。
国内でこれほど大きな西洋建築を行うのは無理!と思うかもしれませんが、このミッションを成し遂げる為、ある精鋭たちが富岡に集められます。
それは、日本各地の瓦職人たち。
彼らは製糸場の図面を描いたバスティアンからレンガの素材や性質を聞き、その材料である粘土を探し始めます。
そして富岡から程近い、現在の甘楽町にあった畑から煉瓦に適した粘土を発見。その為、その周辺にレンガを焼く窯を設け、試行錯誤しながらもレンガの製造を始めたのです。
更にレンガを繋ぎ合わせる材料として西洋ではモルタルが使われていたのですが、当然この頃の日本にそんなモノはありません。
しかし瓦職人たちは下仁田から調達してきた石灰で漆喰(しっくい)を作り、それに膠(にかわ)を混ぜてモルタルの代用品とし、見事、1872年に建物を完成させたのです。
世紀の大仕事を成し遂げた瓦職人たちは、その後それぞれの地元へと帰って行きます。
しかし、そのうち何人かは窯を作った甘楽町に残り、この地で瓦造りを始めるのです。
それが甘楽町の福島地区で生産されている『福島瓦』。
現在、瓦の需要な年々減少していますが、今もなお職人さん達は製糸場を造り上げた先人たちの誇りを胸に瓦の可能性を追求しています。
2025年9月9日
M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』
KING OF JMK代表理事 渡邉 俊