2026年1月13日放送 - よ:世のちり洗う四万温泉


草津、伊香保と並び上州三名湯の1つとして知られる四万温泉。

 

『4万の病気を治す霊泉』という言い伝えから”四万”と名付けられたと言われており、昔は強酸性の草津温泉で湯治をした後、保湿効果のある四万温泉に滞在するのが定番になっていた事から『草津の仕上げ湯』とも呼ばれていました。

 

 

またこの四万温泉で一番歴史のある建物と言えば1694年に創業した日本最古の湯宿建築である『積善館本館』。300年以上もの間湯治客を迎え入れており、日本の温泉文化の象徴とも言える風情と魅力があります。

 

さらに過去の宿泊者には土屋文明やエノケン、中曽根康弘など各界の錚々たる面々が並んでいるのですが、その中にひとり、1942年の夏に意外な人物が泊まっています。

その人の名は、当時の内閣総理大臣だった『東條英機』。

 

 

  

もちろんこの時は既に太平洋戦争の真っただ中だったので、東條が四万温泉に訪れたのは休養が目的ではありません。

今では考えられないかもですが、当時国内ではガソリンの代用品として木炭の生産が重視されており、その生産地の視察にやってきたのです。

 

 

戦時中の日本では石油が圧倒的に不足しており、軍事物資の輸送に必要なトラックやバスの燃料調達が喫緊の課題となっていました。

そのため代替燃料として検討されていたのが『木炭ガス』。木炭を不完全燃焼させると水素や一酸化炭素を含む木炭ガスが発生するのですが、これをエンジンルームへと送り込んで燃焼させることで燃料として使うことができるのです。

 

 

とはいえガソリンに比べると乗り心地がとんでもなく悪く、場合によっては乗員が一酸化炭素中毒になる危険性もあります。

しかし戦時中はこの木炭ガスを発生させる大きな釜を積んだクルマが全国で数十万台も走っていたのです。

 

 

そして山林が豊富な四万温泉周辺は木炭生産の重要拠点として機能しており、東條はその視察の為に積善館に宿泊しています。現在その本館にある資料室には、四万を訪れた際に彼が書いた直筆の色紙が展示されているのですが、その色紙には

 

『天地無私夏又来(てんちむし なつまたく)』

 

と書かれています。直訳すると”天地には私心などなく夏はまたやって来る”といった意味です。

 

 

彼が四万に訪れたのは、日本がミッドウェー海戦で大敗してアメリカが戦争の主導権を握った直後。そんな中でも日本は必死になって戦っていた訳ですが、自然の移り変わり人間がコントロールできる訳ではなく淡々と流れていく。

この言葉を四万の自然を眺めながら書いていたのです。

 

それから7年後、A級戦犯として処刑された東条英機。彼の目に当時の四万の自然はどのように映っていたのでしょうか。

 

 

2026年1月13日

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

 

 

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊