2022年4月19日放送 - う:碓氷峠の関所跡


江戸時代には東海道の箱根と共に難所として有名だった碓氷峠。

直線距離約 10kmの間に標高差500 m以上という超急勾配のこの峠は、昔から交通の要所ではあったものの、行き交う人々を苦しめてきました。

 

今では新幹線が開通し、安中榛名~軽井沢駅間は僅か10分程で通過できますが、それ以前の人々はこの峠を越える為に様々な知恵を出してきたのです。

 

 

特に明治以降は鉄道でこの峠を越える為、多くの技術が投入されました。

 

以前このコーナーでもお話しましたが、1893年にこの区間の鉄道が開業した際に採用されたのが、スイスの山岳地帯で使われていた『アプト式』という技術。

これは電車とレールを歯車でかみ合わせながら峠を登る方式であり、碓氷峠以外にも静岡の大井川鉄道で使われてきました。

 

しかしアプト式だと碓氷峠越えに要する時間は75分。この時間を更に短縮する為、戦後の国鉄は碓氷峠越えだけの為の専用車両の開発に着手します。

その車両の存在を皆さんはご存知でしょうか?

 

その名前は・・・『EF63(イーエフロクサン)』、通称ロクサン。

 

 

 

 

 

EF63とは客室車両の後ろに連結する電気機関車であり、いわゆる『後ろから車両を押す』為の専用車両です。

 

当時上野から走ってきた全ての下り列車は、横川駅で停車するとここでEF632両連結させ、車両を押してもらいながら峠越えへと向かいます。そして登り切った軽井沢駅でEF63は切り離され、客車は信濃路へと旅立って行きます。まさに碓氷峠越えのスペシャリスト的な車両だった訳です。

 

そしてその様子は、エベレストで登山客のサポートをする人を指す『シェルパ』の様であった事から、EF63は『峠のシェルパ』とも呼ばれていました。

 

 

とはいえ乗客にとって困るのは、横川駅でEF63を連結する間待っていなければならないこと。

通常の駅の停車時間より5分ほど長く待つ必要があったのですが、その時間を利用して多くの乗客に親しまれたのが、ご存知、おぎのやの『峠の釜めし』。

 

 

 

連結作業中、車両のあちらこちらでボックス席の窓が開き、外にいる売り子さんを呼んで釜めしとお茶を購入します。

売り子さんからすれば、たった5分の間にたくさんの釜めしを売りさばかなければならず非常に大変なのですが、この光景がいつしか横川駅の名物となり、『峠の釜めし』は日本一人気の駅弁になって行く訳です。

 

 

このEF63、今ではその役目を終えていますが、横川にある『鉄道文化むら』にその車両が展示してあります。

ここにしかない本当に貴重な車両なので、鉄道ファンの方々はもちろん、そうじゃない方も是非足を運んでいただき、当時峠越えに命を懸けた人々に思いを馳せてみて下さい。

 

 

2022年4月19日

M-wave Evening Express 84.5MHz『上毛かるたはカタル』

 

 

KING OF JMK代表理事 渡邉 俊