※2021年3月よりまえばしCityエフエムの情報番組『M-wave Evening Express』(84.5MHz)にて、KING OF JMK代表理事:渡邉 俊プレゼンツ『「上毛かるた」はカタル』放送中!
以下の絵札をクリックすると、番組内で各札を紹介した原稿を見る事ができます!
館林市は東南群馬の中心都市で、昔ここに尾曳(おびき)城がありました。その城址の堀に臨むところが、つつじが岡公園であり、花山とも言われています。
4~5月には1万本のつつじが見頃となり、たくさんの行楽客でにぎわいます。
白衣観音は昭和11年に高崎観音山の頂に完成し、高さ41.8メートルの姿は高崎のシンボルとなっています。
この観音像は戦病死された兵士の慰霊と高崎の発展などを願って、実業家であった井上保三郎が建てたものです。
現在も多くの観光客が訪れます。
昔話の分福茶釜は館林市内の茂林寺に伝わるお話であり、その茶釜は今も数々の寺宝と共に公開されています。
茂林寺には狸の像が21体置かれており、季節によって衣替えすることでも有名です。
明治の宗教家・教育者として有名な新島襄は安中藩の江戸屋敷に生れ、米国で苦学した後、明治8年に京都に同志社を創立し、キリスト教主義の教育に従事しました。
同志社で学ぶ青年は多く、精神界と教育界へ偉大な足跡を残しました。
田山花袋は群馬県が生んだ明治~大正時代の大文学者の一人であり、自然主義作家の第一人者です。
館林で生まれ、若い頃に上京して辛苦をなめつつ独学力行し、従軍記者や雑誌編集者となり、自然主義文学を唱えて「蒲団」や「田舎教師」など数多くの作品を発表しました。